さてこの映画版に、バナナマンの設楽統さんが主演されてます。
アニメでの声の出演が多い設楽統の、実写映画出演作にして初主演映画となります。詳しくは以下レビューをどうぞ!
“他人事の人生”を眺める裁判傍聴人
知人から聞いたことがある。裁判の傍聴というのはとても面白い、と。
そりゃあそうだろう。法廷室ごとに、大なり小なり、バラエティに富んだリアルな人間ドラマが展開されているのだから。
実に生き生きと、知人はそのときの体験を話してくれた。スーパーでブラジャーを3点盗んだ男の初公判について。別の部屋では、かのハーグ事件に関する裁判、1974年にフランス大使館を占拠した日本赤軍の元メンバーが被告席にいたのだそう。
さらに、麻薬所持&密輸にも手を染めてしまった外国人のケースも傍聴、通訳がポルトガル語で事務的に、しかも驚くべき早口で大袈裟に息継ぎしながら判決文を読み上げていくさまがオカしく、笑いを噛みしめるのが大変だったらしい。
これは今から7、8年も前の話だが、当時急に裁判傍聴に興味を抱き始めた知人はもしかしたら、北尾トロ氏による雑誌連載、はたまたそれを一冊にまとめたばかりの単行本「裁判長!ここは懲役4年でどうすか」を読み、感化されていたのかもしれない。
東京地裁で北尾氏が傍聴した裁判の中から、印象的な事例をピックアップしたエッセイ集。
ネタの宝庫で、ドラマ、映画の格好の題材であったが、まずは2009年、日本テレビ系が向井理の主演、『傍聴マニア09〜裁判長!ここは懲役4年でどうすか〜』のタイトルで全10話放映。
続いて今回の映画化と相成ったわけだが、ややもすればありがちな、先に記したような法廷エピソードの羅列、串刺し状態を巧妙に避け、裁判ウォッチャー、傍聴マニアたちの矜持と業(ごう)を両方描きこみ、対象に「一本スジを通している」ところが豊島圭介監督による本作の美点である。
主人公の名前は南波タモツ。この映画版の主演は設楽統。相方は日村勇紀、お笑いコンビ“バナナマン”として活躍する芸人だ。
出演は設楽統をはじめ、片瀬那奈、螢雪次朗、尾上寛之、ほか!
タモツは放送作家という設定で、脚本を担当したアサダアツシの職種が当てはめられている。が、放送作家といっても全く売れておらず、成り行き上「愛と感動の裁判映画」の脚本を書くことになり、一応、取材のために裁判所に通い始める。
設楽のいつも醒めている、どこか投げやりな風情がタモツのキャラに合致し、彼のナビゲートぶりは申し分ない。さらに傍聴マニア(螢雪次朗、村上航、尾上寛之)が登場して、作劇のスタンスがハッキリと示される。すなわち、傍聴傍聴人の醍醐味は、あくまで“他人事の人生”を眺めること。自分には何の責任がないからこそ、映画のハシゴを楽しむごとく何件もの公判を続けて観ることができるのだ。
『ソフトボーイ』同様“人生の迷走”の物語
豊島圭介の演出は一見、バラエティ寄りのテイストで、彼らの裁判傍聴記をサクサクとさばいていく(ミシェル・ルグランの名曲「ディ・グ・ディン・ディン」を彷彿とさせるスキャット後藤の音楽が“軽み”をいっそう増幅させている)。
「ディ・グ・ディン・ディン」は、2005年にサントリーのモルツ・ダイエット生・マグナムドライ、2009年に資生堂のUNOのCMに使われたりしてる名曲!
しかし、それだけではない。軽さを装いながら、終盤に打ち上げる花火のために、伏線を要所要所に張っていくのだ。なかなかの手だれだと思う。
起承転結、映画の“転”の箇所も物語の流れに乗って、なめらかに導入される。裁判所でタモツは憧れの女検事(片瀬那奈)に「さぞかし楽しいでしょうね。他人の人生を高見の見物して!」と叱られて、大いにヘコむのである。ここから映画のトーンが変わっていく。
連続放火事件と被告の冤罪を訴える母、支援グループにタモツら傍聴マニアは影ながら参加する。喩えてみるならサッカーのサポーターが、観客席の側からグラウンド上の選手たちにある種の影響力を行使しようとするように、“ウォッチメン”としての存在意義に目覚めてゆくのだ。演出と音楽は高揚感を煽っていき、観る者も次第に前のめりになるだろう。
だが、言うまでもなく本作は、周防正行監督の『それでもボクはやってない』ではない。社会に対し、物申す映画ではないのである。そのことはちゃんとわきまえている。そして、身の丈に合ったオトシマエの付け方を最後にみせてくれる。
『それでもボクはやってない』は痴漢の冤罪を巡っての社会派ドラマ!
今年、豊島監督がすでに発表した佳篇、『ソフトボーイ』をご覧になった方ならば“結”の部分にもうひとヒネリあっても驚かないはずだ。
『ソフトボーイ』は永山絢斗の初主演映画です!
『ソフトボーイ』は佐賀県が舞台で、県内の他の学校にソフトボール部がないことを知った高校生たちが、お手軽に全国大会を目指すストーリー。無論、物事はそんなに簡単に進むわけがない。
豊島監督は安直なヒーロー譚にはせず、エンドクレジットの後、画竜点睛ともいうべきワンエピソードまで伏線の回収を施した。表面的にはバラエティ仕様のスタイルであったが、この『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』同様、誠実な作品になっていた。つまり、どちらも主人公が“人生の迷走”を経験し、己自身を受け入れる物語なのである。
転んだって人生は続く。傍聴傍聴人の醍醐味は、あくまで“他人事の人生”を眺めること。
人間の根っこの部分はそうそう変わったりはしない、との真実を突き付け、登場人物のキャラに寄り添いながら一本スジを通して、映画を締め括る。豊島監督は、変わりたくても変われないデタラメな人間の性(さが)ってやつを、きっと愛している。
キネマ旬報2010年11月下旬号掲載記事を改訂!