読む映画リバイバル『光にふれる』

『光にふれる』は轟夕起夫にとって宝箱のような作品だった

(2014年2月号より)

  先日、青山にあるワタリウム美術館に足を運んだ。取材前の下調べでもあったのだが、そこで写真家・齋藤陽道の展覧会を観た。

 一応説明しておくと齋藤は、83年の東京生まれ。08年頃から写真に取り組み、10年には“キャノン写真新世紀”の優秀賞を受賞、「宝箱」と銘打たれた今回の展覧会は、彼にとって初めての大規模なイベントとなる。公式カタログの帯には、よしもとばなな、谷川俊太郎、坂口恭平、糸井重里の4名が。ちなみに齋藤は耳が聞こえない。で、障害者プロレス団体「ドッグレッグス」の一員でもある。スゴい! その写真の力もまた。ごく日常を撮っているようで、どれもがフィクションめいた“ざわめき”を有している。なかでも「無音楽団」と章立てられたコーナーの1枚1枚に吸い寄せられた。ピアノを弾く指の表情をとらえた、1連のショットが好きだ。齋藤にとって「音楽は永遠の片想い」だという。ふと想像した。もし彼が台湾出身の盲目のピアニスト、黄裕翔(ホアン・ユィシアン)を撮ったらどんな写真になるのだろうか、と。 “読む映画リバイバル『光にふれる』” の続きを読む

読む映画リバイバル『ゼロ・クラビティ』

私にとっては大きな一歩

(2014年1月下旬号より)

 本作は“純粋活劇”と呼ぶべきものではないか。とにかく捨てカットなし! 宇宙を漂流する登場人物は次々と訪れる危機を回避しようとアクションし続け、観る者はその一挙手一投足から少しも目が離せない。

 科学的な精緻さを求める映画ではないと思う。むしろある種のホラ噺を楽しむくらいの余裕の気持ちで挑みたい。ベテラン宇宙飛行士のマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)の軽口が「映画ならではの大ボラを受け入れよ」とさりげなく諭しつつ、誘導もしているようだ。 “読む映画リバイバル『ゼロ・クラビティ』” の続きを読む

読む映画リバイバル『マイ・バック・ページ』

轟夕起夫が号泣したそれぞれの『マイ・バック・ページ』

(2011年春号より)

 告白すれば、見た後にボロ泣き……しかも恥ずかしながら、作った人たちの目の前で!

 いきさつはこうだ。試写室を出ると、山下敦弘監督と脚本の向井康介の両氏が来ていた。一言挨拶し、感想を述べようと思った。そうしたらグググと込みあげてきて、止められず、もうダメだった。何とも締まりのない姿を見せちまったものだが仕方ない。それが筆者なりの、そのときの率直な“挨拶”であった。 “読む映画リバイバル『マイ・バック・ページ』” の続きを読む

読む映画リバイバル『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』

轟夕起夫が触れたヌーヴェル・ヴァーグという映画史

(2011年6月号より)

 共に59年に長編デビュー作を放ち、ラストシーンで、主要登場人物に“カメラ目線”をさせたふたりの映画監督がいる。『大人は判ってくれない』のフランソワ・トリュフォーと、『勝手にしやがれ』のジャン=リュック・ゴダールだ。

 観客に向けられた、挑発的だが只ならぬ思いを訴えかけてくる視線——この“眼差し”が、同時代的になぜ生まれたのかを知りたい方、はたまた、今までトリュフォーやゴダールの作品には何ら関心のなかった方々——すなわち、一大クロニクル『ふたりのヌーヴェルヴァーグ  ゴダールとトリュフォー』とは、そんな人たちこそが観るべき、よく出来た“映画史”入門篇のドキュメンタリーなのであった。 “読む映画リバイバル『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』” の続きを読む

読む映画リバイバル『コーマン帝国』

あっぱれのドキュメンタリー

(2012年2月号より)

 よくぞ付けたり、この邦題! 『コーマン帝国』ときたもんだ。何それ?って方にはまず「ロジャー・コーマン」という名前から知ってもらおう。

 1926年ミシガン州デトロイト生まれ。どんな人物かを説明するには、彼の自伝タイトルを紹介するのが手っ取り早い。すなわち『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか』(早川書房)。『コーマン帝国』は、かの名著を映像へと移し替えたかのような、よく出来たドキュメンタリー映画だ。 “読む映画リバイバル『コーマン帝国』” の続きを読む

読む映画リバイバル『私の悲しみ』

轟夕起夫の注目する次の才能『私の悲しみ』を観よ

(2012年6月号より)

 今、彼ほど、日本のオルタナティブなシンガーソングライターたちとのつながりが深い監督もいないのではないか。堀内博志。74年生まれで、劇場デビュー作は、昨年公開された『加地等がいた−−僕の歌を聴いとくれ−−』。どんな内容かといえば、大阪でそれなりに人気を博していたガレージバンドのボーカリストから一転、01年、フォークシンガーになり、37歳で上京するも世間的にはブレイクすることなく40歳で急逝した加地等の、苦悩と泥酔と無頼の2年半を生々しく捉えたドキュメンタリー映画だ。 “読む映画リバイバル『私の悲しみ』” の続きを読む

読む映画リバイバル『世界にひとつのプレイブック』

轟夕起夫が感じた音楽のオリジナリティ

(2013年2月号より)

 誰にでも、聴いた途端にツラい想い出が蘇ってくる“トラウマ曲”ってやつが、あるのではなかろうか。ここに紹介する映画『世界にひとつのプレイブック』の主人公の場合、スティービー・ワンダーの名曲、「マイ・シェリー・アモール」がそれに当たる。

 彼の名はパット。高校の教師で、或る日校長とケンカした後、早めに帰宅してみると、結婚式を彩ったその麗しのナンバーが流れていた。目に飛び込んできたのは下着や服、ベルトのついた男物のズボン。風呂場の前にCDプレーヤーが置かれ、床には妻のパンティも。彼女はシャワーを浴びていた。背中が見えた。思いきってバスカーテンを開けた。オー・マイ・ガッ。な、なんと横には同僚の、歴史の教師が裸でいるではないか! “読む映画リバイバル『世界にひとつのプレイブック』” の続きを読む

読む映画リバイバイル『宇宙人ポール』

轟夕起夫の子どもの頃を呼び覚ます『宇宙人ポール』

(2011年12月号より)

 わりと多くの人が目撃しているものだと思うが、子供の頃、UFO(未確認飛行物体)を見たことがある。所属していた地元のサッカークラブの試合中に。突如、上空を漂うオレンジ色の2つの物体に目を奪われてしまったのだ。その物体は異様に不規則な飛び方をすると、パっと消滅した。で、俺だけではなく、相手の小学生チームの選手の中にもひとり、注目してたヤツがいて、互いに足を止め、一瞬だけども顔を見合わせて「さっきのって……UFOだったよ、な?」とアイコンタクトしたのを、今もよく覚えている。 “読む映画リバイバイル『宇宙人ポール』” の続きを読む

読む映画リバイバル『これは映画ではない』

轟夕起夫が祈りを込めて見つめるイラン映画『これは映画ではない』

(2012年8月号より)

 不屈の闘志——と記してはみたものの、書くのは易し。当人の、苛烈な“今”を思うと、もどかしさが募るばかりである。

 かような境遇に陥っているイランの映画監督がいる。名は「ジャファール・パナヒ」と言い、彼は不正な操作があったとされる09年の大統領選で、対立候補を支持した結果、反体制の罪で「20年間の映画製作禁止」のみならず、出国もマスコミとの接触も禁止され、6年間の懲役刑まで申し渡される始末。現在は保釈金を払い、自宅軟禁中の身だ。 “読む映画リバイバル『これは映画ではない』” の続きを読む

読む映画リバイバル『フラッシュバックメモリーズ3D』

轟夕起夫は『フラッシュバックメモリーズ3D』を観た夜をずっと覚えていたいと思った

(2012年12月号より)

 その「一夜のこと」は、ずーっと記憶に留めておきたいと思った。

 去る11月16日、吉祥寺バウスシアターにて行われた爆音3D映画祭、そしてクロージングを飾った松江哲明監督の『フラッシュバックメモリーズ3D』のことである。

 GOMAというディジュリドゥアーティストがいる。アボリジニの伝統楽器ディジュリドゥの奏者だ。彼は不運にも2009年の11月26日、首都高速で停車中、後方から追突され、脳の一部が損傷、「高次脳機能障害」となり、日々、自分の記憶を失っていく状態に。 “読む映画リバイバル『フラッシュバックメモリーズ3D』” の続きを読む

読む映画リバイバル『タリウム少女の毒殺日記』

これもひとつの、ヒトゲノム妄想日記

(2013年7月下旬号より)

【6月×日】

 渋谷アップリンクで土屋豊監督の「タリウム少女の毒殺日記」を観た。05年、劇薬物であるタリウムを密かに実の母親に投与し、ブログにその観察記録を書いていた女子高生−−−−をモチーフにした映画だ。もっと正確に言えば、タイトルも謳っている通り、そこからタリウム少女なる架空の主人公を抽出、「踊ってみた」「演奏してみた」といったネットでお馴染みの投稿動画さながらに、「母親に毒薬を飲ませてみた」彼女の行為がスクリーンにアップロードされていくのであった。 “読む映画リバイバル『タリウム少女の毒殺日記』” の続きを読む

読む映画リバイバル『スカイラブ』

アマルコルドな、人生のスケッチ

(2013年4月下旬号より)

 スカイラブ。漢字で書けば〝空愛〟となるのか。何だか恋空みたいだが、いやいや、このラブはラボラトリーの略、つまり〝空の実験室〟。アメリカ初の宇宙ステーションの名前である。73年に打ち上げられ、79年、大気圏に再突入。これをタイトルに選んだのは監督ジュリー・デルピーで、女優業と平行して近年、「パリ、恋人たちの2日間」(07)、 「血の伯爵夫人」(09) とプレイングマネージャーとしても活躍。監督3作目となったのが「スカイラブ」なのだ。 “読む映画リバイバル『スカイラブ』” の続きを読む

読む映画リバイバル『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』

黒い血を、止血する男

(2015年11月上旬号より)

早朝、上下スウェット姿の男がニット帽をかぶり、ランニングをしている。まるで『ロッキー』(76)の有名な一場面のように。だが、バックに流れているのは当然ながら、ビル・コンティのあの威勢のいいテーマ曲ではない。マーヴィン・ゲイが71年に発表した貧しき者たちの心の叫び――『インナーシティ・ブルース』の哀切な歌詞とメロディだ。 “読む映画リバイバル『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』” の続きを読む

読む映画リバイバル『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』

断片と総体

(2015年9月上旬号より)

 オープニング。なにやら男がひとり、苦悩しながらこう呟いている。

 「頭の中に音の断片はあるんだけども、あとが浮かばなくて……」

 その男、ザ・ビーチ・ボーイズの音楽的支柱にして希代のソングライター、ブライアン・ウィルソンの半生を綴ったこの「ラブ・アンド・マーシー」は、開幕で示された通り、彼の苦悩と向き合った “断片と総体”についての映画なのであった。もう少し言葉を足せば、 “読む映画リバイバル『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』” の続きを読む

読む映画リバイバル『セッション』

才能を食い合う「モンスター映画」

(2015年5月上旬号より)

 この映画を観たあとは感情が高ぶって、ハイテンションのまま、しばらくはバディ・リッチ師匠の神技ナンバーばかり聴いていた。ジャズ史のみならず、ドラマー史上の神々のひとり。その驚異のドラミング、超高速シングルストロークは味わえば味わうほど虜に。「もっと、もっと!」とカラダが欲しがる始末である。なかでも、56歳のときにリリースした名盤〈THE ROAR OF ’74〉が最高だ。パワフルなドラムにアグレッシブなブラスセクション。これぞビッグバンドスタイルの醍醐味で、 “読む映画リバイバル『セッション』” の続きを読む

読む映画リバイバル『アメリカン・スナイパー』

イーストウッドとスローモーション

(2015年4月上旬号より)

「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」

クリント・イーストウッドが監督した「アメリカン・スナイパー」は、観終わって寺山修司のかの有名な短歌を思い起こさせる。英雄と称えられた狙撃兵クリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)の生涯を通して、国と個人と戦争の関係を改めて描いたイーストウッドの意図は明白だ。 “読む映画リバイバル『アメリカン・スナイパー』” の続きを読む

読む映画リバイバル『許されざる者』(監督:李相日)

「業」を背負った“ダークナイト”がここに誕生

(2013年9月下旬号より)

「許されざる者」に挑んだひとつの道理

 観終わって、何とも釈然としない気持ちになった。砂を噛むがごとき、苦々しい感触が胸の奥に広がった。いや、無論それは、オリジナル版の時でもそうだったのだ。あの第65回米アカデミー賞にて作品賞をはじめ4部門に輝いた監督、主演クリント・イーストウッドの代表作(の一本)。はたまた、法や正義を楯にとり、無闇に力を行使することの欺瞞を描き続けるイーストウッドの真骨頂。「許されざる者」(92)とは観る者に爽快感など与えず、しかしその禍々しさのためにいつまでも心の中に沈殿し続ける、異形の映画だ。 “読む映画リバイバル『許されざる者』(監督:李相日)” の続きを読む

読む映画リバイバル『こっぴどい猫』

「好き」という暴力的な感情

(2012年8月下旬号より)

 映画が始まると眼前にはいきなり、「モト冬樹生誕60周年記念映画」と出る。その仰々しさがちょっとオカしみを醸し出す。誰が言ったか「日本のニコラス・ケイジ」。そもそもはバンドマンであり、長年、バラエティでもハっちゃけてきた彼の顔が勝手に脳内にオーバーラップしてきやがる。が、いざ画面に登場するや否や、「これはマジだな」と姿勢を正すことに。何とも渋い味わい。 “読む映画リバイバル『こっぴどい猫』” の続きを読む

読む映画リバイバル『あの娘が海辺で踊ってる』

ダンスはうまく踊れない

(2013年1月下旬号より)

 「処女作」という言葉には、原語を直訳した適当さの中に、女性の性への“男性目線のトンチ”が含まれているようでいとおかし、なのだが、さらにトンチを利かせて「処女作」を劇場にかけてみせた例があった。 “読む映画リバイバル『あの娘が海辺で踊ってる』” の続きを読む

読む映画リバイバル『裁判長!ここは懲役4年でどうですか』

バラエティ風を装いながら「スジを通して」人間の性(さが)を描く

(2010年11月下旬号より)

 “他人事の人生”を眺める裁判傍聴人

  知人から聞いたことがある。裁判の傍聴というのはとても面白い、と。そりゃあそうだろう。法廷室ごとに、大なり小なり、バラエティに富んだリアルな人間ドラマが展開されているのだから。 “読む映画リバイバル『裁判長!ここは懲役4年でどうですか』” の続きを読む