読む映画リバイバル/淡島千景と『もず』

動から静へ、静から動へ

(2012年5月下旬号より)

 映画が始まると、(松山崇による)何ともデコラティブな内装の小料理屋のセットが目に飛び込んでくる。住み込み女中・岡田すが子役の淡島千景はやがて、暖簾をくぐって晴れやかな顔で、右手から登場する。さて、店の手伝いでも始めるのかと思いきや、そうではなく、スタタタタと二階に上がってしまう。意表を突く展開(アクション)。それがこの映画「もず」(61)での彼女の行動様式だ。何しろ、出だしの快活な印象からすると、ラスト、すが子が辿りつくのは雲泥の開き、予想もつかない場所で、さながら感情のジェットコースターを生きてみせ、そして有無を言わさず観る者をそこにライドオンさせるのだ。

 監督は淡島千景の映画デビュー作を撮った渋谷実で、これはもう晩年の作品にあたるのだが、7本組んだうちの6本目、さすがに彼女の魅力を知り尽くしている。小料理屋の二階に待っているのは15年ぶりに再会した娘(有馬稲子)である。郷里の松山から上京してきたのだ。すが子は煙草を吸い、ビールを飲み、娘との距離を埋めようと陽気にふるまい、しかし贔屓の客、半ば腐れ縁となっている会社社長(永井智雄)がやって来ると娘そっちのけで相手をし、しなだれかかる。母親の顔から生々しい女へ。戦争未亡人として生きてきた一筋縄ではいかない過去、その背景が一気に透けて見えてくる。

 淡島千景という女優は、どんな役柄を演じても地に足のついた“生活者”の匂いを発散する。だから芝居がかった、そのフリ切れた動作(アクション)にもリアリティが宿る。娘の勤める美容院を訪ね、一度は言い合いで終わるも共に感情が溢れ、去り際に踵を返して駆け寄り、抱きしめる場面。あるいは、念願の同居を果たすも仲違いの日々で、ついには土砂降りの雨の中、家を飛び出し、石段を登ろうとした矢先に下駄の鼻緒が切れて、ぐらつき、家のほうへ戻ってくるとやおら、窓から見ている娘に向かって下駄を投げ、「高慢ちき! 鼻緒でもすげてろ!」と啖呵を切り、また番傘を差して去っていく一連のシーン。

 動から静へ。静から動へ。この感情の極の“綱渡り”が、「もず」での淡島千景の魅力だ。渋谷実が最後に用意するのは、結核性脳炎を患っての彼女の臨終シーンである。何かの力でふと病室の扉が開き、娘の姿をすが子は幻視する。生気を失っていた顔にかすかな光が射し、とはいえ記憶が混濁状態になり、子守唄をつぶやき始め、絶命していく――淡島千景という感情のジェットコースターは、ひとり芝居であってもG(重力加速度)がかかってスリリングだ。

[キネマ旬報掲載]
●監督:渋谷実●出演:淡島千景、有馬稲子、永井智雄、山田五十鈴、他●1961年●日本