読む映画リバイバル『マトリックス』

(1999年10月下旬号より)

 20世紀を締め括るように登場した「マトリックス」が、題名通り、次世代の映画スタイルのひとつの“原型”になるだろうコトはいまさら言うまでもない。ましてや、その驚異的なビジュアルを成立させている世界観や夥しいテクストに関してはすでにいろいろ書き尽くされており「何をか言わんや」というのが正直なところ……だが、気分を出してもう一度byB.B(ブリジット・バルドー)。

 劇中、主人公ネオ(キアヌ・リーヴス)は預言者にこう告げられる――「お前は救世主ではない」と。事実ネオは、ホストコンピュータの中枢に直結した監視プログラム=エージェント・スミス(ヒューゴ・ウィーヴィング)に戦いを挑み、打ちのめされ、そして死ぬ……わけだが、しかしあっさりと甦って救世主となるのだ。なんでェ?

 ヒロインのトリニティ(キャリー=アン・モス)が彼に愛を感じたからだ。すなわち「お前が愛する者こそ救世主なのだ」と預言者に伝えられていたのである。な、何たるご都合主義!

 が、ここで重要なのはその点ではなく、ネオの復活に“キリストの物語”が投影された事実だ。ジーザス・クライスト・スーパースター! それは同時に磔刑という、キリストの肉体の受難のイメージをかきたてる。

 目の前の現実がすべて、コンピュータによって造りだされた脳内シュミレーションの集積にすぎぬマトリックス世界。システムが破綻しない限りエージェント・スミスは、このサイバースペースでは無傷のまま、何度でも復元可能だ。ところがネオは(あくまでバーチャルだが)肉体を傷つけられ、死ぬことで逆に超越的存在となる。しかもそれが、トリニティの一方的な愛=“承認と契約”により成立するという図式。つまり人類の身代わりとしての“死”を介在とした罪の意識の内面化と復活の儀式——これぞ聖書と信仰者との連関で語られるべき、起原を欠いたキリスト生誕のシミュレーションにほかならない。。

 仮想現実を逆手にとった映像の革新“フローモーション”。ブルース・リーをアイコンとし、肉体の受難、その劇(画)的な躍動を高らかに描きあげたウォシャウスキー兄弟。彼の映画では、血糊は血よりも一層赤い。

[キネマ旬報掲載]
●監督:アンディ(現ラナ)・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー●出演:キアヌ・リーブス、他●1999年●アメリカ