読む映画リバイバル『バスケットボール・ダイアリーズ』

(1996年4月下旬号より)

 “汚れた顔の天使”ではなく、“美しき顔の堕天使”ともいうべき映画の主人公たち。例えば「夜の人々」(49)のF・グレンジャーや「陽のあたる場所」(51)のM・クリフトといった二枚目スター。「理由なき反抗」(56)のJ・ディーンとD・ホッパーもまたこの系譜上だった。彼らは、あたかも新品プラモデルにわざと〈汚し〉を入れるかのように堕天使を演じた。そして煽りのなかにキャラクターの立体感を出し、美しさよりもヒロイックなカッコよさを体現してみせた。この審美学に関しては、もっかB・ピットに代表される現代の二枚目スターの多くが、やはり充分自覚的に応用している。

 あまりに美しいからこそ逆に〈汚し〉が似合う。レオナルド・ディカプリオというアクターもそんな特権を持ったひとりだ。だから彼によるジム・キャロル原作の『マンハッタン少年日記』の映画化はまさにうってつけであった。有望なバスケット選手から底なしのジャンキーへ。ふつふつと煮立ったヘロインを針で静脈に打ちこんで血管の童貞を喪失して以来、それが9時から5時までの仕事と化した主人公ジム。ノッド(陶酔)と乱痴気騒ぎと反吐の日々の果てに現実の悪夢と拮抗する“純粋”な夢を見続けた少年の役は、マット・ディロンや故リヴァー・フェニックスも果たせなかった夢だ。

 原作の舞台は63〜66年。16才までの3年間の原体験を、後のビートニック新世代のカルチャー・ヒーローが日記形式で綴った散文集に対し、完成した映画は、エピソードを忠実に反映しつつ不思議と90年代の色をしていた。挿入曲同様、風俗的にも今日のスタイルにすべてが移しかえられた感じがした。我々は、殊更「ドラッグ反対」のメッセージに過敏に反応する必要もないし、物足りなければ原作に直接当たればいいだけのことだ(やはり躍動感に満ちた筆致に勝る術はない!)。

 そのジム・キャロル本人はといえば、劇中にジャンキー役で登場する。40代半ばに達した彼の姿はどこか20数年後のディカプリオとダブってみえた。このツーショットは何とも感動的だ。傷つきながら荒ぶる魂を震わせる二人の“美しき顔の堕天使”の邂逅。互いが互いを映しだす反射鏡のような――。

[キネマ旬報掲載]
●監督:スコット・カルヴァート●出演:レオナルド・ディカプリオ、他●1995年●アメリカ