読む映画リバイバル『縄と乳房』

再検!日活ロマンポルノ

美術は、鈴木清順監督と名コンビの木村威夫

(2000年6月号より)

 京都。それは夢破れ傷つき、人生(とくに色恋沙汰)において悩める者たちの格好の“佇み”スポット。名所旧跡で、フっとため息などつくだけで、らしい“絵”がたちまち出来上がる。で、女がひとり、佇んだりしている場合、BGMは渚ゆう子の『京都の恋』『京都慕情』、あるいは由紀さおりの『女ひとり』と昔っから決まっている。とにかく京都は、悩める者たちにとって歌謡曲的に、つまりベタベタに、“絵”になる聖地なのだ。

 さて、この『縄と乳房』の主人公(田山涼成&松川ナミ)たちも、悩みびととして京都の地を踏みしめる。二人はSMショーをやりながらストリップ劇場を廻っている芸人だ。あくまでSMは「おまんま」のための手段だが、とはいってもそこはプロ。二人のショーは、劇場に詰めかけた客を必ず大満足させる。それだけ毎回、迫真のSM〈演技〉がウリなんである。

 だが、そんな相性バッチリの二人なのに、実はいま、コンビ解消を考えている。理由は私生活。カラダを重ねても、互いにシックリこないのだ。倦怠期というのもあるだろう。この生活を始めてもう7年……しかし根はもっと深かった。すなわち男には、セックスのときも女の喘ぎが〈演技〉のように見える。ついSMショーでの彼女を思い出してしまうのだ。

 一方、女も男がイカないのはやはり〈演技〉をしているからだと考えている。芸人ならではの深い深い悩みだ。

 京都での最後の仕事。

 二人はファンと称する初老男から招待を受ける。裕福な屋敷で、地下室には責め具の揃ったSMルームもある。そこで二人のラストショーが始まった。すると初老男の手で真正サディストに調教されたその妻(志麻いずみ)が罵声をあげた。

「や、やめなはれ! ここは舞台やない。気ィ入れてんのか!」

 マジ切れである。そうして屋敷の主人と妻によって、二人は逆に調教されてしまう。緊縛人間振り子、水車責め……例えば京都の東寺の五重塔の講堂には、五大明王をはじめ、空海が中国から持ち帰ってきた密教の仏像がひしめきあっている。

 なるほど、これは一種の密教的修行なのだ。現に主人によって剃毛され、ヒロインは本物のプレイを受け恍惚顔になっていく。それを見て男は「待ってくれ、もう一度やらせてくれ!」と嘆願し、鞭を狂おしく叩きつける。

 二人は〈演技〉を超えて本気になっていた。愛とは、嫉妬心の別名なのか。京都だから“絵”になる悩みびとたちの「業」。最後には思わず拝んでしまうほどの傑作だ。

[月刊ビデオボーイ掲載]
●監督:小沼勝●出演:松川ナミ、田山涼成、他●1983年●日本