仲代達矢さんのロングインタビュー記事を復刻です!
インタビューは、2013年に雑誌記事のために行われたものです。仲代さんが主演した『日本の悲劇』が公開した時期でした。
この『日本の悲劇』についてを導入として、これまでのキャリアや役者論などに話は広がっています。お楽しみください!
仲代達矢・プロフィール
なかだいたつや
東京都出身。1952年に俳優座演劇研究所に入所、舞台「幽霊」のオスワル役でデビュー。「どん底」「リチャード三世」などの舞台で芸術選奨文部大臣賞、紀伊國屋演劇賞ほか数々の賞を受賞。映画では小林正樹監督『人間の條件』『切腹』、黒澤明監督『用心棒』『影武者』『乱』など日本映画を代表する幾多の作品に出演する、日本を代表する舞台俳優にして映画俳優。1975年より「無名塾」を主宰。
仲代達矢 インタビュー
(取材・文 轟夕起夫)
──今年(2013年)は「役者生活60周年記念」の年ですね。5〜6月にかけて、フランスの「パリ日本文化会館」にて大掛かりな映画作品のレトロスペクティブが開かれ、さらに7月には新文芸坐(東京・池袋の映画館)でも「仲代達矢映画祭」が行われました。
仲代 それはね、僕のところに、もうそろそろでお迎えが来そうだと思ってるから慌ててやってるんです。
──いやいや、ご冗談を! 出演の映画『日本の悲劇』。実は過去に同じタイトルの作品が2本あります。亀井文夫のドキュメンタリーと木下惠介の映画と。そして出演された小林政広さんの監督作が3本目。
仲代 そのへんが、小林政広の変わっているところで、亀井さんのも木下さんのも、もちろん僕は存じております。どちらも有名なのに、あえて同じタイトルにしたフシがある。僕は小林さんとは2本目なんですよね。最初は3年前に公開された『春との旅』って映画でした。
独特な監督ですし、ある意味では天才というか。気に入ったのはね、5年間、僕のスケジュールが空くのを待ってくれたんです。ありがたいことですよ。その間、彼について調べ、過去の映画も観てみたら、「ああ、面白い作家だな」と思ってね。もとは高田渡さんの弟子でね、ギター弾きでしょ。それですごい映画好きで、『大人は判ってくれない』の監督フランソワ・トリュフォーを神様と崇めている人なんですね。
あとで聞いたんですけど、黒澤さんの作品はあまり好きではなかったそう。でも参考に、『春との旅』を撮る前に黒澤映画をいろいろと観たら、「やっぱり黒澤明はスゴい」って感じたって。まあ、剛腕な黒澤さんのようなタイプではないです。前衛的なんですよね、小林さんは。ただし描こうとするテーマは同じくらい太い。『日本の悲劇』もそうで、テーマは大きいけれども、作り方としてはちょっとトリッキーなんです。
──なるほど、本当にトリッキーですよね。オープニングの、とんでもない長回しから映画に引き込まれました。
仲代 あの掴みは上手かったね。僕ら演じる役者のほうは、ツラかったけれど。病院から帰って来て、「俺の座るところはここだ」って家のテーブルの席のことでゴネる。息子(北村一輝)との会話が延々と続くんですが、何とも言えない“間”というか空白感が表れていて、これが良いんです。
シナリオを読んだら、初めて出会う感触が胸に残ったんですよ。僕は前にやった芝居や設定はやりたくないタチなんで、だから嬉しくてね。『春との旅』のシナリオを読んだときもそうで、斬新なんですよね。特に最近はオリジナルのシナリオが少なくなってきている。黒澤さんなんか「オリジナルのシナリオを書かなければ、映画監督ではない」とまで言ってましたけど、小林さんはずーっとオリジナルですからね。
60年も映画をやっていれば仕上がりもだいたい見当がつくんですが、出来上がったら自分の想像以上に、不思議な作品になっていた。基本的にはお客さんの想像力に委ねる映画で、受け止め方は各自、違ってもいいんです。僕が演じている“不二男”は、余命いくばくもないことを知り、自室のドアや窓にクギを打ち、突如「ミイラになる」と息子に宣言する。「あのドアにいくらクギを打って封鎖したところで、入ろうと思えば入れるんじゃないか」と訝しがる観客もいるでしょう。リアリズム的に考えればね。
一方ではこの設定に寓話性を見てとる方もいるかもしれない。年金問題や老人問題、もっと言えば実際にあった“年金不正受給事件”をひとつのキッカケに作られた映画なんだけど、実は人間の生きざまと死にざまを扱っていて、「死にざまも生きざまの内に入る」んだと、僕は哲学的な命題を受け取りました。こういう尖った映画があってもいいんじゃないですかね。
──例えば、かの名作『楢山節考』では、老いた親は子どもの手を借りながら死に赴いていきますが、不二男という主人公は、家の中に“楢山”を造り出し、自分ひとりの力でそこに入っていったような気がします。
仲代 うん。あの男は、自分で生きざまを決めているんですよね。それは自殺行為なんだけど、いわゆる自殺ではない。今、話に出た『楢山節考』って僕はすごい作品だと思っています。書いたのは深沢七郎さん。映画にしたのは木下惠介さんと今村昌平さん。世界に通ずる物語で、科学の進歩でどんどん人間が長生きし、老人問題が叫ばれる前から、このテーマに答えを出していた。それこそ昔は60歳くらいになればちゃんと、老人は若い者のために死んで行っていたんです。今、そう指摘されて、ああ、そうかもしれないなあと思いましたよ。『日本の悲劇』は現代の『楢山節考』とも言えますね。
──基本はモノクロ画面なんですけど、ここぞというところでカラーになったり、本当に前衛的、冒険的ですね。
仲代 そうなんですよ。だって私、主役なのに、15分間後ろ向きのシーンがあるんです。僕はあの演出、とっても気に入ってます。だいたいお客さんにとって刺激的なんですよ。アップよりもフルサイズで後ろ姿を凝視するほうが、いろいろなことを想像できるはず。あれは小林監督が「仲代さん、ちょっと後ろ向き、長いんですがいいですか」って言うから、どうぞどうぞって始まったんですけど、相手が言ったことに対してどういう表情しているのか、映さないほうが面白いときもある。いや、もしかしたら、正面からリアクションを撮るより、そっちのほうが深いんじゃないかと思いましたね。
後ろ向きは僕、好きなんですよ。ヘタクソな役者は顔を見せたがる。舞台も同じなんですよね。ヘタクソな人は正面を向きたがるんですけど、よく「背中で芝居する」なんて言いますが、背中でなんか芝居はできません。お客さんが想像してくれているだけです。ただ、ワザとね、後ろ向きになりながらいちばん大事なところでフっと振り向くと、効くんですよ。それは舞台ではよくやるんですが、映画であそこまで後ろ向きというのは初めてでした。だから快感でしたよ。
もしかしたらね、一軒家のセットの中、私の部屋があり、それがこの映画ではまるで“棺桶”のようになるわけですが、そんなにカメラアングルを取れるわけではない。ゆえに妥協して、あの背中の長回しになったとも考えられる。どう思われます?
──いやあ、そこはきっと「考え抜かれて」ではないでしょうか。
仲代 僕もそう思う。小林さんはワンカットもつまらんものを撮ってないでしょ。こないだのフランスでのレトロスペクティブで、最後にこれを上映したんですね。観客はほとんど地元の人たち。終わったら、10秒くらいシ〜ンと静寂が訪れたんです。ああー、これはダメだったかあって観念したら突如として拍手が起きたんですよね。それでスタンディングオベーションですよ。口々に「なぜフランスはこういう映画を作らないんだ」って言ってたそうです。私はフランス語、分かりませんが通訳の人が教えてくれた。やっぱりね、世界に通ずる何かがある作品なんだなあって。
実はこの映画、最初はどこの配給会社も躊躇したらしい。どうもモノクロ画面なのがいけないらしいんだ。2012年、アカデミー賞を賑わせた『アーティスト』がモノクロで、日本では興行的には当たらなかったんだね。観たら『アーティスト』はサイレント映画的に撮ってはいるんだけど、素晴らしく新しい感覚だと思った。何なんだろうねえ、この既成概念にとらわれてしまう風潮は。
例えば黒澤さんだってね、いつまで経っても『七人の侍』みたいな映画を撮ってくれ、と言われていたらしいです。それがすごくイヤだったって。
残念ながら年々、冒険的な企画が通りにくくなってますよね。まあ、映画も演劇も興業ですからやっぱり当たらないと困りますけど、当たるものは何か、こっちで限定してしまうのはお客さんに対して失礼じゃないか。お客さんが今、何を望んでいるかを察して、こういうものを作れば当たるんじゃないか、っていう作り方が多い気がするんですね。小林監督もそうだけど、昔の映画作家は「作りたいものを作るんだ」という気迫があったんです。あらかじめ観客動員の見込める題材を探すのも否定しませんが、それよりもまずは、自分の表現したいものを作ったほうがいい。で、当たらなければ仕方がないってことですよ。
──振り返ってみて、仲代さんのこれまでのお仕事も、その連続ですか?
仲代 そうなんですが、僕は自分で企画して監督してってわけにはいかないので、いい作品、スタッフ、キャストとの出会いが重要になってくる。そういう意味では幸運な役者だと思いますけどね。映画界に入ったら、ちょうど黄金時代で。でもそれでも随分失敗に終わったものにも出ました。無名塾というのを長年やってきて、今もウチに若い役者たちがいるんです。直接聞いたわけではないけれど、例えば、映画出演のオファーがあった場合、断ったらもう2度と話はないだろうっていう、そんな恐怖にとらわれている気がします。これは決してウチの若い者だけでなく、俳優全般に。我々の頃は、依頼があっても「これはつまらなそうだな、食えなくてもいいや」と断ったりしてましたけどねえ。時代が違うので単純には比較できませんけれど。
──ちょうど若き日の仲代さんのお話が出たところでお聞きしたいんですが、役者の道に進まれる前は、小説家志望で、『競馬場にて』という作品を書かれたことがあったとか。
仲代 ありましたね。若い時分は非常に貧乏で、生活は苦しかったんだけど、小説家になりたくていろんなものを書き殴り、出版社に送っていました。ダメでも送り返してくれるならいいんですが、そのままというのもけっこうありました。『競馬場にて』は僕が実際、大井競馬場の警備員のアルバイトしていた頃に書いたものです。
──どんな内容だったのでしょうか?
仲代 簡単に言いますと、馬券を買った人たちがレースに挑むんですが、そこは上手くコトは運ばない。で、競馬場の周りには古着屋がいっぱいあるんですね。レースに張る金を作るために、登場人物たちは負けるたびにそこに服を売るんです。で、レースごとにどんどん裸になっていくという話を書いたんですけど、どこにも引っ掛かりませんでした。やっぱり僕には文才がなかったんでしょう。
──人間の本質を見る目は、その頃から自然と養われていたのでは。
仲代 どうでしょうかねえ。やっぱり役者の進に一歩踏み出してからのほうが、意識的に人間を見つめるようになりましたね。電車の中で、この中年の男はどういう家庭を持っていて、どんな生活をしているのか……なんて推察するわけですね。小説を読んでいても、普通の小説の読み方をしているつもりが、文字からすぐに具体的にイメージが出てくるんですよ。この役をもし俺がやったらどうなるんだろうと服装から声の出し方、目つきまでイメージして読む。あまりこれは、正統な読み方ではないのかもしれませんが。
『競馬場にて』を書いたときは、自分もひどく貧乏だったせいもあって、最下層の人たちにシンパシーを感じていたんですけど、どちらかというと、社会的に弱い立場の人たちを見つめるクセは、生来のものかもしれませんね。で、俳優座の養成所に入って、千田是也先生に言われたことのひとつに、仲のいい奴とは芝居の話をするな、というのがありました。なぜかといえば、気心が知れ合っていると「あの先輩の役者の演技、どうだ?」「俺はダメだと思ったよ」って自分が何もできないくせに、演劇青年は上の先輩をけなして満足しがちだからです。そういう関係は何の勉強にもならないと。それよりもむしろ、「こいつ、イヤな奴だな」と感じる者のところにあえて近寄っていけと。そうするとつるまないで、相手から忌憚のない意見をぶつけてもらえ、よっぽど役者の勉強になるって。
──60年間という経験値が、今の仲代さんを創っているのは当然なんですが、『日本の悲劇』での演技はヘンな言葉ですけど60年間を経た“新人”みたいでした。“集大成”とはちょっと違う、初々しさが感じられたんです。
仲代 なるほど、私もいろんな役をやってきましたが、よく「役になりきる」なんて言うじゃないですか。そんなの出来ません。結局“仲代達矢”でしかないんですよ。『日本の悲劇』の台本をもらったとき、小林政広っていう監督は、どういうつもりでこのシナリオを書いたのかをまず探りました。それを解釈したうえで、主人公はどういう人間なのか、そこから入って、だから“仲代達矢”という役者を主張するな、作品に埋没していけ、殉じろってことをこれまで通り、実践してきたわけです。
ところが今回はどうも“仲代達矢”って役者が、『日本の悲劇』の世界を利用りて自己暴露をしている感じもする。80歳を超えて、ようやくそんな境地になりましたね。それが初々しさに繋がっているのかもしれない。今後は自己暴露できない作品はやりたくないですね。絵描きでも小説家でも、やっぱり最終的には自己暴露の方向に進んでいくじゃないですか。
──では、この映画ではいろんな内面を吐露しているということですね。
仲代 そうですね。もうひとつ、直面したのは、役者として上手いとか下手だとか、それがどういうことかまた分からなくなりましたよ。昔は上手くやろうと、いろいろ手を尽くしましたけど、本当に上手いとはどういうことなんだろうか……と。これまでにない経験をたくさんできて、そういう意味でも『日本の悲劇』の現場は面白かったですね。
──この映画によって役者・仲代達矢の“謎”が増えた気がします。
仲代 そうだと嬉しいですね。だってあの顔、あんなクローズアップ、自分でも今までの映画で見たことないですよ。キャメラマンと照明部のライティングと小林監督が、仲代の顔をどう撮るかと思案してくれた結果です。こっちはずっと、座り死にしていく顔だから、特に何もしていないんですが、ああいうライティングはきっと初めてだと思いますよ。チラシに使われている僕の顔もね、こんな顔は初めて。本当の大工みたいですよね。メイクアップはほとんどしていないんだけど、こういう顔を見つけてくれたんですね。
この歳で新たな自分に出会えるのはとても幸せだなと思いました。だいたいね、僕の映画で印象的なものは、ほとんど死ぬ役なんです。『用心棒』『椿三十郎』で三船さんに斬られたときの死にざま、『人間の條件』だって最後に“梶”は壮絶な死に方をしていき、『切腹』だってそう。
僕はガキのとき、役者になる前から映画が大好きでメシ代を浮かして観てたんですけど、ハリウッド映画のハッピーエンドっていうのはガキんときから嫌いでね。フランス映画でしたね。暗くてムーディなやつ。僕自身、キャリア上、いちばんやってないのが普通のサラリーマンで、それから人畜無害な癒し系の人間。そういうのはダメなんです、性に合わないんですよ。まあ何本かはありますけど、人畜無害なのが。あと、どんな悪党をやっても、どこか稚気みたいなものがあるはずなんですよね。それは気をつけて演じてきたつもりですけど。
──それから、市川崑監督の『炎上』での、主人公の友人のようなイヤ〜な男も絶品でした!
仲代 ああいうね、負の人間、コンプレックスを楯にとって生きていく人間っていうのは、なんだか好きなんですよね。だから僕の生き方も、苦しいほう、苦しいほうへと進むんです。自然と選んじゃうんですね。でも、演劇と映画、ずーっと両輪でやってきて恵まれていたという自覚もありますよ。本当に数多の名監督と仕事ができ、さまざまな演出方法を受けられた。何てったって黒澤さんが育ての親、小林正樹さん、市川崑さん、成瀬巳喜男さんと挙げていったらキリがない。
残念なのは溝口健二さんと小津安二郎さんの映画に出れなかったこと。そんな贅沢を言ったらバチが当たるか。イギリスに行くと小津さんのファンが多いんですよ。フランスは溝口さん、アメリカは圧倒的に黒澤さんで、カナダは小林正樹さんなんです。それから兄貴みたいな間柄だったのが岡本喜八さんや五社英雄さんで、彼らとの仕事は格別に楽しかった。『殺人狂時代』みたいにね、岡本さんは僕の茫洋とした面を面白く映画に使ってくれました。五社さんには「どうして僕を使うんですか?」って訊いたら、「目が狂っているからだ」って。目の狂っている役者じゃないと面白くないって五社さんはおっしゃってましたね。狂気というものは人間のドラマ作りには絶対必要なんだと。そういえば、狂気のみなぎった役をいくつもやらせてもらいました。
──仲代さんはよく“人生のグランドフィナーレ”という言葉をお使いになられますが、フィナーレには遠く、いわば“ショータイム”はこれからさらに盛り上がりを見せそうですね。
仲代 いやあ、もうそろそろじゃないかな。舞台でもやりたいことは無数にあるんだけど、身体が続かない。足腰立たないで舞台やるのはしんどいですからね。役者ってある面ではアスリートですもん。プロ野球の名選手だった長嶋茂雄さん、王貞治さんも僕より年下なんだけど、とっくの昔に引退されたでしょ。役者の引退ってあんまりないんですよね。役者の早死にはいっぱいあるけれども。
そういえば誰かが、年齢なりの役があるからだろって言ってましたが、僕はコタツに入ってお茶を吸っている役なんてやりたくないですしね。引退する前にどこかで朽ちてしまうのがいちばんいいんです。そう考えると『日本の悲劇』は身近な映画なんですよ。“不二男”みたいな死に方っていいなと思っているんですよね。
だってね、こないだの池袋の文芸坐の特集で久々に『人間の條件』なんか観ても勝手に涙が出てくるんです。「もうあの人もいない、この人もいない、あんなに元気だったのになあ….…」って。だからまあ、私もそろそろフィナーレを迎えるんだろうと思うんですが、とりあえず、まだ現役で細々ながらやっていたら小林政広みたいな天才に出会えて、これはちょっとした奇跡なわけですよ。18歳まで徹底的に神様にいじめられて貧乏してたんだけど、案外、神様って優しいのかなあって。人生の前半、ひどい目に遭わせた人には、後半は良くしてくれているんじゃないか。まあ、年寄りっていうのはね、じっとしてるとどうやら怖く見えるらしいので、最近はなるたけ、ニコニコしていようと努めていますよ。
『日本の悲劇』レビュー
監督・脚本 小林政広
出演 仲代達矢、北村一輝、寺島しのぶ、大森暁美
(轟夕起夫)
老境と正面から向き合う、リアル仲代達矢
コトの始まりは2010年の7月。東京都荒川区で発覚し、報じられた事件だった。父親の年金が生活のよりどころだった長女がその死後も、黙って年金や給付金をもらっていたという、いわゆる「年金不正受給事件」。誰もがこのニュースには、善悪を超えた問題を感じ、暗濡たる気持ちになったものだが、小林政広監督もそんな一人。やがて通信社からの依頼で当事件についてエッセイを寄稿し、その後、シナリオの第一稿を書き上げた。
当時の小林監督は腎不全の診断を受けたところで、近い将来、人工透析が必要となり、医者から余命10年という宣告を受けていたのだった。
台本はいやが上にも自身の絶望的な心境をも反映したものになり、外に出す予定のないまま書き……もっと言ってしまえば“遺書”のつもりで記したものとなった。
だが『春との旅』以来、仲代達矢という名優との再タッグで、“遺書”は新たな光を当てられ、日の目を見ることに。台本はあらためて、主人公の老人役の仲代氏を念頭に書き直された。
参考となった番組があった。NHK人間ドキュメント「仲代達矢 いま挑戦の秋」。
初放映は2005年12月9日で、小林監督はNHKBS アーカイブスで再放送された際に観たのだろう。最愛の妻であり演劇の同志であった宮崎恭子さんを亡くして9年、72歳の仲代氏は遺骨を埋葬せず、部屋で手を合わせる日々。
老いが忍びよる中、自宅の寝室の壁に貼り付けたセリフに夜、突如懐中電灯を当て、必死に覚えようとする鬼気迫る姿が強烈だったが、そんな仲代氏のギリギリまで自分を追い込んでいく人間性の一端が、『日本の悲劇』の老人役からも垣間見える。
息子役の北村一輝は、『CLOSING TIME』『海賊版=BOOTLEG FILM』『完全なる飼育 女理髪師の恋』と小林組の一員だが、近年のメジャー作とはまったく違う、“北村康”時代に還ったような芝居を披露していて、仲代氏にも負けていない。
色調に関しても言及しておくと、いわゆるモノクロ映画の白黒ではなく、3原色をどんどん足し、コントラスト強くして黒を際立つようにしているのだった。なぜモノクロにしたのかは、お楽しみに。五感を刺激する、音響の仕事の素晴らしさついても、書き添えておきたい。
ちなみに小林監督はシナリオライター見習い時代、松本清張と野村芳太郎監督が作った、かの“霧プロダクション”にいた過去も。となるとシナリオの師匠(のひとり)は、橋本忍先生ということに。この『日本の悲劇』からは小林監督が橋本先生から受け継いだものも、きっと見えてくるだろう。
映画秘宝2013年10月号掲載記事を復刻です
仲代達矢さんは『日本の悲劇』のあと、小林政広監督の映画『海辺のリア』(2016年)でも主演しています。出演はほかに、黒木華、原田美枝子、小林薫、阿部寛、ほか!
これからの映画では、仲代達矢さんは2021年7月1日公開の『峠 最後のサムライ』に出演されています!
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