この映画、現在はなかなか観ることができない作品となっているようです。DVDにもなっていません…。なので、レビューにてお楽しみいただけたらと!
データ
●1999年・日本・カラー・スタンダード・DTSステレオ・86分
●監督:市川崑●プロデューサー:松下千秋、松前洋一、鶴間和夫
●原作・原画:黒鉄ヒロシ●脚本:佐々木守、市川崑
●撮影:五十畑幸勇●照明:下村一夫●整音:大橋鉄矢●録音:斉藤禎一●美術:櫻木晶●編集:長田千鶴子●記録:川野恵美●音楽:谷川賢作
●声の出演:中村敦夫、中井貴一、原田龍二、うじきつよし、石倉三郎、石橋蓮司、石坂浩二、鶴間太郎、滑末裕之、川崎博司、井上浩、田辺年秋、小林一師、山崎佳奈子、萬田久子、清水美砂、岸田今日子、江守徹
●主題歌:「星のない夜に」/作曲:小西康陽(ピチカート・ファイヴ)/唄:池田聡
●製作:フジテレビジョン●製作協力:C.A.L●協力:東宝映画、東
宝スタジオ、東宝映像美術、フジフィルム●配給・宣伝:メディアボックス
レビュー
奇想が描きだす鮮烈な新選組の軌跡
大島渚監督が1999年、前作から実に13年ぶりに発表した劇映画『御法度』で新選組を扱ったが、同年、市川崑監督もまたその名もずばり『新選組』という“映画”を撮った。
『御法度』は出演:ビートたけし、松田龍平、武田真治、ほか。
作品が並んだのはまったくの偶然である。もちろん新選組へのアプローチの仕方、映像のスタイルだって各々違うのも当たり前のこと。何しろこちらは原作・黒鉄ヒロシの絵柄をそのまま生かした「三次元的立体漫画映画」、すなわち「ヒューマン・グラフィック 崑メーション」なのだ!
黒鉄ヒロシの漫画「新選組」はKindleでも読むことができます!
とはいってもそれは、実写でもCGでも、またアニメでさえもなく、コミックの原画を切り抜いて立体的にしたものをひたすらハンドメイドで動かし撮影していく超アナログな手法。
実写の世界でVFXが、あるいはフルCGアニメが飛躍的な進化を遂げている今日、何とプリミティブな“ゲリラ戦”を──とも受け取れるのだが、いやいやそこは「ヒューマン・グラフィック 崑メーション」である。指揮官次第ではアナログでも、それらに十分拮抗できることを本作は証明した。
ところで市川崑が若き日に画家を目指し、映画的キャリアをアニメーション・スタジオから出発させたのはいまさら言を持たないが、それにしても公開時84歳・市川崑監督の、衰えのないフレキシブルな実験精神はどうだろう。
ちょっと撮影の工程を記しておく。まず黒鉄ヒロシの原画をコピーで拡大し、ポリウレタンとベニヤ板を張って電動ノコで切り抜く。そして大量作成した切り絵キャラクター人形を、スタジオにて、モニターを眺めながらスタッフたちの操演でもって全篇撮影した。
最初は「TV用にビデオで」と考えていたそうだが、フィルムで撮り、映画館でかけることに。
フィルムとなると照明の作業が大変だ。生身の人間の顔だって“光と影”を出すのは至難の業なのに、大きさが30センチほどの切り絵にライトを当て、しっかり陰影を出そうというのだから。だがこの無理難題にも、スタッフは試行錯誤を繰り返しながら見事に応えた。
実は原画を拡大するアイデア自体は、大映時代、1960年代の初頭に映画でもやろうとしたことがあったのだという。これはインタビューの折に監督から伺ったのだが、そういえば「市川崑の映画たち」(ワイズ出版)にもこんな記述があったではないか。
1952年の映画版に続いて2度目の演出となったTV版『足にさわった女』(1960年)についてこう語っている。
「(…略…)美術を横山泰三さんに頼んで、列車の中の背景を“書き割り”にした。乗客も、普通のエキストラを使うんじゃつまらないから、ぜんぶ、漫画の書き割りにしてね。泰三さんの原画を拡大してベニヤ板に張り、人型に切り抜いて、時々こう、置き換えたりして(笑)」
そして、この手法を使って、つぎには古典落語「らくだの馬さん」か、「東海道中膝栗毛」を映画化しようとしていたのだった。が、結局、企画意図が会社には理解されず、当時はあえなく流れてしまった次第である。
光と影とが織りなすコン(崑!)ポジション
それから約40年後……奇想はついに実現した。しかも大島渚がかつて、白土三平の劇画をスチール原画のみでモンタージュ構成したあの『忍者武芸帳』(1967年)に共同脚本として名を連ねていた佐々木守が、今回参加しているという面白さ。佐々木守 それから約40年後……奇想はついに実現した。しかも大島渚がかつて、白土三平の劇画をスチール原画のみでモンタージュ構成したあの『忍者武芸帳』(1967年)に共同脚本として名を連ねていた佐々木守が、今回参加しているという面白さ。
さらにオープニングタイトル主題歌のコンポーザーに、「小西さんの作るリズムが合うんじゃないかって直感してね。それで頼んだんですよ」とピチカート・ファイヴの小西康陽を起用し、実現させた新旧の組み合わせの妙。
冒頭の“池田屋騒動”からトトトンとたたみかけてくる、歯切れのよいカッティング。光と影とが織りなすコン(崑!)ポジション。
新選組の局長ではあるものの、写真も肖像画も残っていないので当初のっぺらぼうにしておいた芦沢鴨の顔を、「そろそろ決めなくては」とナレーション(=江守徹)に言わせ、「ひとかどの人物ではあったが、傲慢で乱暴者でもあったようだから、そこで、こんなんじゃなかったろうかと思う」と顔を描きこんで、さらに「……何となくそんな気がする」とタイミングよく混ぜっ返す洒脱さよ。
ときには刀の閃光や桜の花が実写で映り込み、雨(!)を降らせ、池田屋からは血が染み出してくる(このシーンのみCG使用)。実験精神の横溢である。
そうして浮かびあがってくるのは、明治維新直前、激動の時代を鮮烈に生きて散った新選組の軌跡だ。局長の近藤勇。副局長の土方歳三。美貌で最強の剣の使い手、沖田総司。皆、若くして死んだ。
志士たちの残した“生”の一瞬の光芒は、決して永遠ではないこの切り絵たちの刹那感と、そしてまばゆい視覚体験のはかなさと、何とマッチしていることだろう。
選びとった映像のスタイル自体が作品の核を担う。モダニストの面目躍如である。
キネマ旬報2000年2月上旬号掲載記事を改訂!
この『新選組』について、監督がコメントしているインタビュー記事がこちらにありますのでご紹介!