『きみはいい子』は出演、高良健吾、尾野真千子、池脇千鶴、高橋和也、ほか。
原作小説は、本屋大賞では第4位となった短編集です。
人と人とのつながりから生まれるささやかな幸せ
歩き方に注目、なのである!
と薮から棒に書きだしてしまったが、この『きみはいい子』という映画、ぜひ小学校の新米教師を演じている高良健吾の歩き方、もっと言えば“体幹の変化”に着目してもらいたい。
もし映画にも体幹、インナーマッスルみたいなものが備わっているのならば、彼の姿勢の推移に如実に、劇的にそれが表れてくるのだった。
言い換えると、人に、あるいは生徒たちに向き合う「居ずまいや気構え」ってことになるだろうか。
開幕してすぐ。近隣の家々への、児童のイタズラを詫びるため、高良健吾は一軒一軒を訪ねて回る。
扉が開く。目の前にはひとり暮らしらしき老女(喜多道枝)の姿が。
丁寧に、神妙な顔をして頭を下げる高良先生。しかし、軽い。何だか心棒が入っていないような。そこから朝の登校風景へと転じてゆくのだが、その足取りも、どこかアンバランスで危なっかしい。
高良健吾が、いい!
技巧や作為をもって、これ見よがしに演じるのではなく、役柄と一心同体となった結果そうなったのだろう。
決して悪い先生ではない。真面目でひたむきで、けれども経験が浅いので、心もとないカンジ。
そんな新米先生の成長ストーリー……と、本作のことを受けとってしまったかもしれないが、それはちょっと違う。
ここまではまだ、導入に過ぎないわけで。映画は“或る町の物語”にして“群像劇”となる。
まあ、坪田譲治文学賞を得ている中脇初枝の原作をすでに読んでいた方々にはこんなこと、説明不要だとは思うが。
いや、原作ファンにも一応説明しておくべきか。5つの短編のオムニバスだった原作のうち、「サンタさんの来ない家」「べっぴんさん」「こんにちは、さようなら」の3篇を選び、ミックスしてひとつの“町の物語”にしているのだ。
すなわち、いささか頼りない新任の教師、幼児を虐待している母親、そして認知症になりかかっている独居老人を主人公にした3篇を――。
各エピソードを主軸にしっかり立てつつ、同じ空間の中へ並列に置き、さらに相互に交ぜこんでいく脚本(高田亮)が、編集(木村悦子)が素晴らしい。もちろん、他のスタッフワークも。(撮影が近藤龍人→月永雄太に変わったものの)前作『そこのみにて光輝く』チームの成果である。
『そこのみにて光輝く』は綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉出演作です。
モントリオール世界映画祭やキネマ旬報賞、ブルーリボン賞など、2014年度、数多くの監督賞に輝いた呉美保はさらなるバージョンアップをしている。
特に、かつて自身が虐待を受けていた経験から負の連鎖を繰り返してしまう母親(尾野真千子)とそのママ友(池脇千鶴)の人生が重なりあう瞬間の描写!
ドキっとし、ジワっときて、黙想へと誘われた。映画が終わっても。
一方、迷走してばかりしていた高良先生は、クラスの生徒たちに宿題を出す。それは「家族に抱きしめられてくること」。
そんなもんで全てが解決するかよ、と、スクリーンの外から彼を揶揄する声が聴こえる。分かっている。だから高良先生は走る。走る走る。問題が山積している町を。
町の片隅には“私”もいる。きっとアナタの真横を彼は、必死に走り抜けていくだろう。
ケトル2015年6月号掲載記事を改訂!