一時期、周辺のビデオレンタル屋で探したくても見当たらなかった映画タイトルがありました。
ナインティナイン主演の映画『岸和田少年愚連隊』です。
それが、いつだったか、動画配信サービスで観られるようになっていることを知った時、サービスの底力を知りました。
てことで、ここで改めて『岸和田少年愚連隊』を轟の復刻レビューで振り返ります!
野生の住人演じる矢部浩之&岡村隆史、さらにはくっきー!、宮川大輔、ふじもん!
映画館の、決して多くはない観客(なぜなのだ!)であった女子高生たちは、スクリーンの幕が降りると「面白かったねェー。よく分かんなかったケド」とのたまった。
上等じゃねえか――。
心の中でそう吐き捨てた僕は、「女子高生風情に簡単に分かられてたまるかよッ」という尊大な気分と、「いや、数年たったらこの面白さがもっと分かるんだけどなァ」という敬虔(?)な気持ちが相埃う中、0.5秒後には「じゃあ、お前さんはどうなんだよ?」と思わず自問して絶句してしまった。いつまでも心地好い興奮に身を委ねながら。
これは、血中濃度が上昇してやまぬ圧倒的な「男の映画」だ。
岸和田という大阪のディープサウスを舞台に、ひたすら喧嘩にあけくれる少年たち。
暴力はここでは日常会話と同じ意味をなしている。好きも嫌いも“感情”はたいてい、暴力に変換されてあらわれる。親愛の暴力があり、憎悪の暴力もある。
口をついて出る、恐ろしく下世話で威勢のいい大阪弁だって、そのバリエーションにすぎない。
男たちは、暴力という言葉を使って、手を出す、足を出す、頭を出す、バットをふりあげる、鉄板でしばき倒す!
日本内“外国”である岸和田の男たちは「遊びをせんとや生まれけん」というあの哲学を、暴力=言語でもって日々実践しているのだ。
しかし一方でこれは、“野生の王国”の住人たちを飼いならす圧倒的な「女の映画」でもある。
これぞ浪速のオカン・秋野暢子、まさにお好み焼き屋のオバハン・正司花江、愛しき“タレ”には八木小織、高橋美香、そして気丈なヒロイン・大河内奈々子。
存在の不可思議さに苛立ち、暴力=言葉を交わしあってそれを確認する男たちを前に、あたかも動物の生態を眺めるかのごとく対峙し、ひたすら生きていくことの論理をつきつめていく女たち。
徒(いたずら)に情にふりまわされぬハードボイルドな彼女たちは、スコセッシ監督の「カジノ」でシャロン・ストーンが演じた“自堕落な女”なんかよりも、ずっとハードだ。
マーティン・スコセッシ監督『カジノ』で、シャロン・ストーンは、ロバート・デ・ニーロ演じるカジノの男らと渡り合う詐欺師を演じました。
それにしても初主演のナインティナイン矢部浩之&岡村隆史の素晴らしかったこと。全身で「オトシマエはまだついてねえぜ!」と叫んでいる。
エンディングから再び始まる映画とまた出会ってしまった。
キネマ旬報1996年5月下旬号掲載記事を改訂!
今振り返ってみれば、当時はお笑いの若手だったとはいえ、出演陣が豪快です!