読む映画リバイバル『キッズ・リターン』

(1996年10月下旬号より)

 エドワード・ヤン監督待望の新作『麻蔣』が、『カップルズ』というタイトルで公開されるという。さまざまな関係の二人組が物語を進行していくことからこのタイトルがつけられたそうだが、ならば我らが北野武監督の『キッズ・リターン』もまた、“カップルズ”の織りなす映画として眺めることが可能だろう。

 まず物語の中心には、二人の若者がいる。高校を卒業するや、かたやヤクザ、かたやボクサーの世界へ、別々の道を歩むことになった“兄弟”のような二人。

 それから、彼ら主人公と同じ卒業生の中には、コンビ漫才をめざす二人がいる。喫茶店の娘に懇願しまくって結婚する男がいる。ボクシングを始めちゃうお調子者とタイコ持ちの二人もいる。さらには、ヤクザとその舎弟の二人も出てくる。という風に『キッズ・リターン』には、至るところにさまざまな“カップルズ”が形成されている。ここで留意すべきは“カップルズ”には上下関係、上に立つ者とそれに従う者とが必ず選別されている点。主人公の場合にせよ、“兄弟”のような二人と先ほど書いたが、もっといえば“兄弟分”——といったほうが正しい。まるでビートたけしとビートきよしの関係。あの伝説の漫才コンビ“ツービート”で、たけしの優位を常に作り出したきよしという人の存在を思わず想い起こさせもする、“カップルズ”に導入された垂直の力学。

 だが、いくら上下の人間関係が成立しようと、それはいずれ淘汰されるものだろう。つまり、主人公の若者たちが、ヤクザやボクサーの世界でどんなにのし上がろうと、上下のステージは一瞬にして入れ替わってしまう。それが人生だ。そんな弱肉強食のシステムによる垂直の淘汰の力が、僕ら“カップルズ”の前にはいつも立ちはだかっている。

 だから自転車二人乗りで校庭をグルグル走るシーンがあんなにも感動的なのか。縦ではなく、ただただ横へ水平に滑る主人公たちは垂直の力に抗い、“かりそめの自由”に包まれているかのよう。もちろんそれが“かりそめ”であることはあとで痛いほど分からされるのだが。でも北野武の映画とは、いつもこの“かりそめの自由”を描こうとしている気がする。

[キネマ旬報掲載]
●監督:北野武●出演:金子賢、安藤政信、他●1996年●日本