アニメーションと実写のめくるめくサイケなトリップ感『コングレス未来学会議』SF映画

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館理人
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『コングレス未来学会議』はアニメーションと実写を駆使したダイナミックな映像で綴られるSF映画。

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アニメーションはすべて手書きの線画で制作されました。

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原作はSF小説「泰平ヨンの未来学会議」。

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そんなユニークな映画のレビューをご紹介!

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めくるめくサイケデリックなトリップ感

Photo by Paweł Czerwiński on Unsplash

 死ぬ前に、どの映画を観るか?

 何だかいきなり穏やかな話題ではないですが、一度は考えたことありません? かくいう筆者は、森﨑東監督の『喜劇 特出しヒモ天国』(1975年)を選ぼうかと思っている。

 殿山泰司扮する坊さんの、いかがわしくもありがたい説教で始まる煩悩映画の極北、これを味わってジ・エンドとするのがいいかと。でもまあ、実際は映画など観るような余裕はなく、あの世に逝ってしまうんでしょうけれども。

 近未来を描いたアリ・フォルマン監督の『コングレス未来学会議』は、開発された“クスリ”を飲むと誰もが好きな人物やキャラクターになることができる、という設定だ。

館理人
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出演はロビン・ライト、ハーヴェイ・カイテル、他。2013年。ドイツ、フランス、英国、ポーランド、ベルギー、ルクセンブルグ、イスラエルの7カ国共同製作映画です。

 ただし「幻想の中で」だが。しかも容姿がアニメ化される。そうやって、もはやオリジナルの自分というものがなくなった世界で、デジタルデータの海を漂流し、完璧なCGキャラとして半永久的に遊泳するわけである。

 言ってみるならば、自分探しではなく“自分失くし”。人間には古来から視聴覚の拡張への欲望があり、その一端を映画が担ってきたが、『コングレス未来学会議』が提示する世界観では、映画はもう必要なくなっている。

 突き詰めていけば一切は電脳空間の幻影で、そこでは生も死は曖昧なものとなる。偏在する意識。あなたの生はわたしの生。そしてわたしの死はあなたの死。

 劇中、息子になって彼の人生をくぐり抜け、母親にして女優のロビン・ライト(演じているのはむろん本人)は“再会の旅”を果たす。そんなことができるなんて!

館理人
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ロビン・ライトは『フォレスト・ガンプ/一期一会』でトム・ハンクスと共演した女優です。

 入れ子構造の閉じた回路の中、際限のない堂々めぐりが展開するだけ、と突き放した見方も可能だが、めくるめくサイケデリックなトリップ感がすこぶる羨ましい。

 先に述べたように、これまで映画は人間の欲望に沿って視聴覚の拡張を体現してきた。本作で言及されてるキアヌ・リーブスの『マトリックス』シリーズ(1999〜2003年)などは分かりやすい例だが、それに先駆けて主演した『JM』(1995年)も思い出したい(原作はウィリアム・ギブソン。嗚呼〜、サイバーパンク!)。

館理人
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サイバーパンクなSF映画『JM』はキアヌ・リーブス主演、北野武も出演してます。

 製作と脚本がジェームズ・キャメロンで、キャスリン・ビグロー監督の『ストレンジ・デイズ/1999年12月31日』(1995年)なんてえのもあった。

 ヴァーチャル装置、他者の体験をそのまんま知覚できる五感レコーダー・プレイヤー“スクイッド”が登場。今となっては懐かしいなあ〜。

 もちろんこの映画自体も、視聴覚の拡張をまた一歩押し進めたものである。「映画なんてもう、必要ない」という世界を描きながら。

 現実であろうと電脳空間であろうとすべては所詮、人間の脳が生みだした幻影に過ぎない……のだけれども、死ぬまでは意識が興じる“ゲーム”を面白く転がそうとしているのだ。ボブ・ディランの名曲〈Forever Young〉を響かせて。 

 改めて――死ぬ前に、どの映画を観るか? それを考えることもまた“ゲーム”の遊び方のひとつ。

 死も旅路、トリップであるのならば、旅のお供をしてくれる映像は何が最適か探したい。自分にとってピッタリなやつを。もしかしたら、その映画の思い出を通して、またどこかで逢えるかもしれないじゃないか!

 な〜んて、本作のせいですっかりバッドトリップしちまったようだ。

轟

キネマ旬報2015年8月上旬掲載記事を改訂!

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