『コングレス未来学会議』はアニメーションと実写を駆使したダイナミックな映像で綴られるSF映画。
アニメーションはすべて手書きの線画で制作されました。
そんなユニークな映画のレビューをご紹介!
めくるめくサイケデリックなトリップ感
死ぬ前に、どの映画を観るか?
何だかいきなり穏やかな話題ではないですが、一度は考えたことありません? かくいう筆者は、森﨑東監督の『喜劇 特出しヒモ天国』(1975年)を選ぼうかと思っている。
殿山泰司扮する坊さんの、いかがわしくもありがたい説教で始まる煩悩映画の極北、これを味わってジ・エンドとするのがいいかと。でもまあ、実際は映画など観るような余裕はなく、あの世に逝ってしまうんでしょうけれども。
近未来を描いたアリ・フォルマン監督の『コングレス未来学会議』は、開発された“クスリ”を飲むと誰もが好きな人物やキャラクターになることができる、という設定だ。
出演はロビン・ライト、ハーヴェイ・カイテル、他。2013年。ドイツ、フランス、英国、ポーランド、ベルギー、ルクセンブルグ、イスラエルの7カ国共同製作映画です。
ただし「幻想の中で」だが。しかも容姿がアニメ化される。そうやって、もはやオリジナルの自分というものがなくなった世界で、デジタルデータの海を漂流し、完璧なCGキャラとして半永久的に遊泳するわけである。
言ってみるならば、自分探しではなく“自分失くし”。人間には古来から視聴覚の拡張への欲望があり、その一端を映画が担ってきたが、『コングレス未来学会議』が提示する世界観では、映画はもう必要なくなっている。
突き詰めていけば一切は電脳空間の幻影で、そこでは生も死は曖昧なものとなる。偏在する意識。あなたの生はわたしの生。そしてわたしの死はあなたの死。
劇中、息子になって彼の人生をくぐり抜け、母親にして女優のロビン・ライト(演じているのはむろん本人)は“再会の旅”を果たす。そんなことができるなんて!
入れ子構造の閉じた回路の中、際限のない堂々めぐりが展開するだけ、と突き放した見方も可能だが、めくるめくサイケデリックなトリップ感がすこぶる羨ましい。
先に述べたように、これまで映画は人間の欲望に沿って視聴覚の拡張を体現してきた。本作で言及されてるキアヌ・リーブスの『マトリックス』シリーズ(1999〜2003年)などは分かりやすい例だが、それに先駆けて主演した『JM』(1995年)も思い出したい(原作はウィリアム・ギブソン。嗚呼〜、サイバーパンク!)。
『マトリックス』シリーズのレビューはこちらにあります。
サイバーパンクなSF映画『JM』はキアヌ・リーブス主演、北野武も出演してます。
製作と脚本がジェームズ・キャメロンで、キャスリン・ビグロー監督の『ストレンジ・デイズ/1999年12月31日』(1995年)なんてえのもあった。
ヴァーチャル装置、他者の体験をそのまんま知覚できる五感レコーダー・プレイヤー“スクイッド”が登場。今となっては懐かしいなあ〜。
もちろんこの映画自体も、視聴覚の拡張をまた一歩押し進めたものである。「映画なんてもう、必要ない」という世界を描きながら。
現実であろうと電脳空間であろうとすべては所詮、人間の脳が生みだした幻影に過ぎない……のだけれども、死ぬまでは意識が興じる“ゲーム”を面白く転がそうとしているのだ。ボブ・ディランの名曲〈Forever Young〉を響かせて。
改めて――死ぬ前に、どの映画を観るか? それを考えることもまた“ゲーム”の遊び方のひとつ。
死も旅路、トリップであるのならば、旅のお供をしてくれる映像は何が最適か探したい。自分にとってピッタリなやつを。もしかしたら、その映画の思い出を通して、またどこかで逢えるかもしれないじゃないか!
な〜んて、本作のせいですっかりバッドトリップしちまったようだ。
キネマ旬報2015年8月上旬掲載記事を改訂!