監督語り/巨匠の理由【増村保造】〜情熱の増村映画の魅力と、エロキュートなヒロイン【若尾文子】

スポンサーリンク
館理人
館理人

増村保造監督作は、動画配信サービスを利用して鑑賞できるものがあれこれ出て来ました!

キュートで妖艶、情熱的で時に引くほど怖い若尾文子がヒロインの映画の数々、市川雷蔵や勝新太郎との傑作…。

映画監督・増村保造の作品の魅力と面白さを解説です!

Photo by Anton Darius on Unsplash
スポンサーリンク

増村保造の映画の魅力

 増村保造の映画は、一見すると、精緻に組み立てられた「建築物」に似ている。

 構図の中心に登場人物の顔をおさめた安定したミディアム・ショット。マシンガントークの応酬を実況的に伝える的確なリバース・ショット。そして論理的な物語の展開に弾みをつけるスピーディーな編集。

 煉瓦をひとつひとつ指定通りに積み上げていくように、始めから最後まで計算されたカットがピタリ、ピタリとスクリーンの中に嵌まってゆく。あるいはそれは歯車の噛みあった、連結機械の潤滑に作動してゆくイメージといってもいいだろう。

増村保造映画は恐ろしくいびつな建築物

 映画的に完成されたその印象は、デビュー作の『くちづけ』(1958年)から中期の『兵隊やくざ』(1965年)を経て、後期の『曾根崎心中』(1978年)、そして遺作となった『この子の七つのお祝いに』(1978年)まで、すなわち増村保造が1986年に62歳でこの世を去るまで、どの時代どの作品を観ても一貫して感じとれるものだ。

館理人
館理人

出演者はこんな感じ!

『くちづけ』関根恵子、大門正明、ほか
『兵隊やくざ』勝新太郎、田村高廣、ほか
『曾根崎心中』梶芽衣子、宇崎竜童、ほか
『この子の七つのお祝いに』根津甚八、岩下志麻、ほか

 だが、冒頭に“一見すると”とあえて付したように、増村映画という「建築物」の内部を実際隈なく歩いてみると、途中ですぐに気づかざるを得なくなる。

 はて、一体何に? 外枠こそ確かに精緻に組み立てられてはいるものの、その内部とは全く平行感覚を逸した、恐ろしくいびつな「建築物」であるということにである。

 繰り返そう。ひとつひとつのパーツはあくまで完璧なのだ。ところがそもそもの設計図が空間把握を無視していたら?

 常識を踏み外した設計図にもかかわらず、しかしパーツはそれに沿って緻密に積み上げられている――増村映画の面白さとは、この奇妙な「建築物」の内部を手探りで進むことにある。

増村保造のセリフの意図

 もっと具体的に論じよう。

 「ある弁明」(映画評論/1958年3月号)という新人宣言で、増村は監督としての基本姿勢をこう書いている。

「私は人間的な人間は描きたくない。恥も外聞もなく欲望を表現する狂人を描きたい」。さらに、「嘘でもいい、滑稽でもいい、明るく逞しい人間の情熱を描きたい」とも。

 大映の助監督時代、ローマの国立映画実験センターに2年間映画留学して培った、これが増村の思想的基盤だ。これぞ設計図、なのだ。

 従って増村映画の主人公たちは、ものの見事に欲望の赴くまま生き、フツフツとたぎる感情を(例の低く押し殺した声で)誰に気を使うでもなく思いっきり口走る。

増村保造×若尾文子

 初老の夫の命を絶った若き妻が、その過剰な愛で何かに憑かれたように青年を所有せんとする『妻は告白する』(1961年)。

館理人
館理人

『妻は告白する』出演:若尾文子、川口浩、ほか

 夫を出兵させぬため、自分のモノとするために相手の目を五寸釘で潰してしまう『清作の妻』(1965年)。

館理人
館理人

『清作の妻』出演:若尾文子、田村高廣、ほか

 そして、罠にはまって芸者に売られ、女郎蜘蛛の刺青を彫られた娘が逆に男たちをたらしこみ、凄惨な血の祝祭を繰り広げる『刺青』(1966年)。

館理人
館理人

『刺青』出演:若尾文子、長谷川明男、山本学、ほか

 若尾文子とコンビを組んだこれら一連の作品は、まさに「恥も外聞もなく欲望を表現」する増村映画の祖型である(監督ウォン・カーウァイ曰く、『欲望の翼』のヒロイン、カリーナ・ラウには『刺青』の若尾文子が投影されている!)。

 湧きでる欲望の赴くままに生きること。だがそれは世界との闘争である。つまり他者を自分の欲望の支配下に置くことである。増村映画の“欲望の実現”の過程には、だから常に「調教と従属」というスリリングな関係が介在することになる。

増村保造映画の欲望の闘争

『痴人の愛』(1967年)では、安田(現・大楠)道代と小沢昭一がSM的関係を交錯させ、『セックス・チェック/第二の性』(1968年)では、新人スプリンター安田道代をオリンピック選手にするためにコーチの緒形拳は彼女に髭を剃らせ、男言葉を強制し、“男”に改造しようと試み、『盲獣』(1969年)に到っては、“触覚芸術”を提唱する盲人画家・船越英二(怪演!)のオブジェとして監禁された緑魔子が次第にその虜となってゆく。

 となると、苛烈な闘争に勝ち抜くためには、もはや女は女ではいられなくなる。姿形は女でも、女を超えた第三の性、物体Xになる。それは、ラス・メイヤー監督の『ファスター・プッシィキャット! キル! キル!』のあのゴーゴー・ガールズか。最強の“甲冑”を身につけた盲獣=猛獣となってゆくのだった。

 さて、こうした欲望の闘争を描くため、増村映画は、デビュー作『くちづけ』で川口浩と野添ひとみに“愛かお金か”の二者択一を強いたように、登場人物たちに常にダブル・バインド状態を用意した。

 それは『「女の小箱」より/夫が見た』(1964年)、『華岡青洲の妻』(1967年)、そして『妻二人』(1967年)という題名もそのままに女ふたりをめぐる男の愛情劇であったり、『卍』(1964年)のレズビアンであったり、『千羽鶴』(1969年)、『やくざ絶唱』(1970年)、『音楽』(1972年)の近親相姦であったりと、形を変えて提示された。

館理人
館理人

『「女の小箱」より/夫が見た』出演:若尾文子、田宮二郎、ほか
『華岡青洲の妻』出演:市川雷蔵、若尾文子、ほか
『妻二人』出演:若尾文子、三島雅夫、ほか
『卍』出演:若尾文子、岸田今日子、船越英二、ほか
『千羽鶴』出演:平幹二朗、若尾文子、今日マチ子、ほか
『やくざ絶唱』出演:勝新太郎、大谷直子、ほか
『音楽』出演:黒沢のり子、細川俊之、ほか

 『暖流』(1957年)の左幸子、『黒の試走車』(1962年)の田宮二郎、『陸軍中野学校』(1966年)の市川雷蔵、『偽大学生』(1960年)のジェリー藤尾と、スパイを描いたのもそれが究極のダブル・バインドを生きる存在であったからだ。

館理人
館理人

『暖流』出演:根上淳、左幸子、野添ひとみ、ほか
『黒の試走車』出演:田宮二郎、叶順子、ほか
『陸軍中野学校』出演:市川雷蔵、小川真由美、ほか
『偽大学生』出演:若尾文子、ジェリー藤尾、ほか

 その果ては『遊び』(1971年)や『曾根崎心中』(1978年)のごとく道行きを選ぶか、はたまた『大地の子守唄』(1976年)の原田美枝子のごとくお山道となって無限地獄から脱出するしかない。

 それでは、増村保造自身の欲望の闘争はどうだったのか。

 それは決して終結を見なかった。彼は何度でも設計図を引き直したのだ。そう、あの『セックス・チェック/第二の性』で半陰陽により今度は男から女に戻される安田道代のように、欲望の“肯定と否定”の自問を際限なく続けた。いびつな「建築物」、それは増村保造の無限に反転する自己そのものだ。

(轟夕起夫 ※1)

スポンサーリンク

もっと詳しく!名コンビ女優・若尾文子の増村保造

「私が使って納得した女優さんは、若尾文子、岸田今日子、叶順子、関根恵子、原田美枝子、梶芽衣子さんたちである。どの方も、追いこんで行くと、一種異様な精神状態になり、これこそ人間であり、女だという寂しくも美しい姿をカメラの前で露出して下さった」(キネマ旬報増刊「日本映画俳優全集・女優編)

 若尾文子に特異なヒロイン像を担わせ、数々、自らの愛する“パッション至上主義世界”を作り上げてきた増村保造監督。『青空娘』(1957年)を皮切りに、この二人は、名コンビとして充実の時を過ごしていった。

 では、たとえば、彼女はどんな役柄をあてがわれたのか。増村ヒロイン映画の極北に位置づけられる傑作『「女の小箱」より 夫が見た』 (1964年)がいい例になるだろう。これは手っ取り早くいえば、人妻の“よろめきドラマ”だ。

 愛のない夫(川崎敬三)に背を向け、魅力的な野心家(田宮二郎)に女は接近していく。そして初めてカラダを重ねたあと、女は男に、子供じみたムチャクチャな二者択ーを突き付けるのだ。

「あなたの夢(一会社の買収)と私と、どっちが欲しいの?」。

 二人でいる。二人だけでいる。ひとりきりではなく。若尾文子は増村映画で、全世界を敵に回そうとも「二人でいることを選ぶ」ロイン像を何度となく演じてきた。

 過剰な愛で、何かに憑かれたように青年(川口浩)を所有しようとする『妻は告白する』(1961年)。夫(田村高廣)を出兵させぬため、いや、自分のモノにするために五寸釘でその目を潰す『清作の妻』(1965年)。従軍看護婦として野戦病院に配属され、不能の軍医(芦田伸介)に全てを捧げる『赤い天使』(1966年)。

 漁村で出会った精悍な若者(北大路欣也)に心奪われ、ひたすら暴走する『濡れた二人』(1968年)……

 女は二者択一の世界で身をよじらせながら、思いが成就しようがしまいが、ひとつの決断に向かって邁進してゆく。

 川端康成原作の『千羽鶴』(1969年)では、かつての愛人の遺児(平幹次朗)を恋慕う太田夫人という役。ところが中盤、不意に自殺し、亡き骸となり、ひとり娘(梓英子)に死に化粧を施される。遺影の中におさめられてしまう若尾文子の姿……。

 『青空娘』以来、ほぼ毎年ともに作品を発表してきた増村監督だったが、象徴的なことに、これがコンビ最終作となった。

 太田夫人は、若尾がそれまで増村映画で体現してきたよろめくヒロインの集大成のごとき存在である。川端康成の原作ではこう表現されている。

「夫人は人間ではない女かと思えた。あるいは人間の最後の女かと思えた」

 増村監督にとことん追いこまれ、一種異様な精神状態になった「人間ではない女」「人間の最後の女」。実に、若尾文子にふさわしい形容ではないか。

(轟夕起夫※2)

轟

※1キネマ旬報1995年4月上旬号掲載記事を改訂!
※2映画秘宝2010年3月号掲載記事を改訂!