読む映画リバイバル『あの娘が海辺で踊ってる』

ダンスはうまく踊れない

(2013年1月下旬号より)

 「処女作」という言葉には、原語を直訳した適当さの中に、女性の性への“男性目線のトンチ”が含まれているようでいとおかし、なのだが、さらにトンチを利かせて「処女作」を劇場にかけてみせた例があった。

 それは昨年11月、ポレポレ東中野にて開催され、連日盛況となった上映イベント「処女の革命3本立て!山戸結希との間違ってるかもしんない正しい出会い方」のことである。

 山戸は、上智大学の文学部哲学科在学中の4年生。彼女言うところの「処女が集まって作った処女性に関する処女作」──約50分の中編「あの娘が海辺で踊ってる」(以下「あの娘」)の監督・脚本・撮影を担当。本作は東京学生映画祭で審査員特別賞に輝き、2作目の短編「Her Res〜出会いをめぐる三分間の試問3本立て〜」(以下「Her Res」)はPFFアワードに入選した。

 「あの娘」は熱海から東京を目指すアイドル志望の女子高生・舞子と、“ホトケの菅原”と呼ばれる寛容な同級生のひと夏の物語だ。舞子は女として“消費”されることに人一倍苛立っており、セックスを毛嫌いし、アイドルになりたくてもダンスは踊りたくはなく、歌も口パクのほうがエラいと考えている。つまり可愛いければ、立ってるだけで崇拝されるというわけだ。そんな永遠の処女性を生きる自意識過剰な舞子と、対照的に日舞を踊り、男子ともつきあう菅原との乙女同盟がまさしく処女作の瑞々しさと痛々しさとで綴られてゆく。奇妙なズーム、外れたピント、棒読みの台詞……本作について山戸は「自分の生き写しのような映画」と語っているが、技術的な未熟さでさえもが彼女の体性感覚をさらけ出してるみたいでスリリングである。

 先に記した“トンチ”は機智と言い替えてもいいのだが、どこか“命がけの機智”といった風情があって、映画の中にその体性感覚をぶちまけないと死んでしまいそうな危うさも感じる。「あの娘」には要所要所に月が映っていたが、より同性愛を偽装した「Her Res」にはずばり、生理を指す「月のものが来ました」という台詞が出てきた。山戸結希の映画は、月の重力によって何かが引き起こされる人々の、ルナティックな状態を記録したものかもしれない。

 「Her Res」の登場人物に、ペニスを「生える、生えない」と表現させるあたりも山戸ワールドなのだが、しかし、言わせてもらえば男の股間にはそんなものはない。“ピノキオの鼻”がついているのだ。心にウソをつくとグンと伸びる。いや、ウソもマコトにまるこめるようになったら一人前──って、50間近の男にこんな気持ち悪い文章を書かせやがって! 憎いぜ、山戸結希。

 「あの娘」はこれからも各地を回り、2月下旬にはオーディトリウム渋谷でも再上映される。来たる1月30日、映画×音楽の祭典『MOOSIC  LAB 2013』のライブ・ショーケースがあり、アーティスト“おとぎ話”とタッグを組んだ「おとぎ話みたい」が発表される(MV上映+3D上演←上映ではなく“上演”なのだ!)。一体どんなことをしでかしていくのか。毎回が「処女作」になりそうな、映画と交ぐわい、果て、殉じる勢いの山戸結希の革命はこれからが“本番”だ。

[キネマ旬報掲載]
●監督:山戸結希●出演:加藤智子、上埜すみれ、他●2012年●日本