読む映画リバイバル〈映画は天使に恋をする。〉

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(1998年7月上旬号より)

中間者であった天使の起源

 個にして多数、現れては消える使者、可視にして不可視、伝達内容と伝達活動を同時につくり、精神にして肉体、精神的にして物質的、男女両性的にして性を持たない、自然的にして技術的、集団的にして社会的、無秩序にして秩序、騒音、音楽、言語の生産者、媒介者、交換体、世界の事物に広がった知能にして人工物……あなたの天使たちはまるでとらえどころがないですね。それに、かれらはときに邪悪になるとおっしゃる。(ミシェル・セール著『天使の伝説』)

 さて。この事実を神がお許しなのかどうかは預かり知らないが、映画の中の天使たちはちょっとした百面相状態である。ざっと挙げると、ケイリー・グラント、ジェームズ・メイソン、ブルーノ・ガンツ、笑福亭鶴瓶、大地真央、エマニュエル・ベアール、玉置浩二、ポール・ホーガン、クリストファー・ロイド、ジェラール・ドパルデュー、ジョン・トラヴォルタ、デンゼル・ワシントン……etc。

 表面的に“いい人”ぽいイメージが選択の基準なのだろうか。とにもかくにもこんなにも、めちゃくちゃ無数の“顔”が天使を名乗ってきたのだ。そもそも天使とは両性具有であったはずだが、こう並べてみるとスクリーン上のそれにはなぜか中年男性が多いのに気づく。と同時に当然、不可視の天使がどうして人間と同じ姿をしているのか、といった根源的な問いも浮かび上がってくる。

 しかし映画界はそんなことなどお構いなしに、ここ80~90年代にかけて“天使映画”の殿堂をせっせと築きあげてきているようだ。現に「普通じゃない」(97)のホリー・ハンターとデルロイ・リンドー(そして最新作「シティ・オブ・エンジェル」のニコラス・ケイジ)が、今回新たに殿堂入りを果たしたというわけである。

 天使=エンジェル。ギリシャ語の〈アンゲロス〉に由来し、〈使い〉を意味するヘブライ語の〈マルアク〉の翻訳でもあるこの霊的存在は、一般的には天上界の“中間者”として知られている。つまり神々とわれわれ人間との間を慌ただしく往き来し、メッセージを運び伝える聖なる〈使者〉。神の意思を実行したり、御言葉を伝えるだけでなく、時には人間を助け、慰め、導き、元気づけ、守ってくれる“仲介役”である。

 なるほどスクリーン上を眺めれば、たとえば古くは「素晴らしき哉、人生!」(46)の愛すべき2級天使がいた。その誠意に反し、すべての事柄が裏目に出て人生に絶望しきった男のもとに、彼は降り立った。

 「未来は今」(94)では、同じく気のいい青年が奸計に踊らされ、挙句の果てにビルから飛び降り自殺を計ろうとしたところ、〔かれ〕は間一髪で救いの手を差し伸ばした。頭輪を輝かせ、手には楽器を持ち、宙を羽ばたくという“絵に描いた”ようなイデタチで現れたのだ。

 いや、翼があろうとなかろうと、かれら天使はつねに弱き正しき者、迷いながらも前方に突き進む者を見守ってきた。「メイド・イン・ヘブン」(86)では、天国で愛しあった女性を追って無謀にも他界へと舞い戻った青年を。「ミラグロ/奇跡の地」(88)では、自然再開発に血道をあげる企業と対決する農民たちを。「オールウェイズ」(89)ではそれは、オードリー・ヘプバーンの麗しき容姿を借りて“愛の奇跡”を説いた。

 こんなケースもある。神(チャールトン・ヘストン!)の酔狂な考えにより、どこから見てもガラではない泥棒役のポール・ホーガンが、事故後生還して天使へと任命される「Mr.エンジェル神様の賭け」(90)。それから「ワイルド・アット・ハート」(90)のクライマックスに降臨して、お告げをする女性天使も忘れ難い。

人間の願望を具体化した天使の翼

 女性の天使といえば、大地真央のコスチュームにいささか驚かされた「エンジェル 僕の歌は君の歌」(92)もあるが、それより「天使とデート」(87)のエマニュエル・ベアールだろう。翼をケガし、プールへと落下。そこを青年に救われるのだが、フレンチポテトに目がなかったり、外に連れ出されては慣れないハイヒールを履かされて、ヨロヨロよろめいちゃうのがいちいち可愛い。愛玩物としての天使、ここに極まれり。ラストは傷も癒え、「神様が休暇を下さったの」なんて白衣の天使=翼なしの看護士姿になって青年のもとへ戻ってくる。まるで天使のコスプレ劇。飛べなければ、翼がなければ、彼女は普通の恋愛モノのヒロインと何ら変わらないのだから。

 空飛ぶ能力、翼の有無以外は人間と同じ容姿を持つ天使のありよう。それは人間の願望が天使を通して“擬人化”された結果である。

 神の国は天空のはるか彼方だ。だがわれら人間は、重力の魔にとらわれている。自力で天国には行けない。人間には決して神は見えない。そこで天と地、神と人間との“中間”に天使を介在されることで、揺らぎなき信仰体系を成立させた。神とは世界に偏在し、そしてまた絶対的に不在だ。実は不在の代理である天使こそが神そのものなのかもしれない。もし単なる神の〈使い〉であり、御言葉の配達者であるならば、翼などという特別な肉体的フォルムはいらなかったはずだ。自力で空を飛べない人間にとって天使は、だから、永遠に仰ぎ見られるべき憧れの存在なのである。

[キネマ旬報掲載]