読む映画リバイバル『眠狂四郎 無頼剣』

私の雷蔵この1本〜狂四郎のネジれたキャラが顕著に表れている逸品

(2004年11月下旬号より)

 名刀・無想正宗から繰り出される眠狂四郎の“円月殺法”。刃先が完全な弧を描き終わるまで静観することは難しく、幻惑され数々の敵が倒されていった。

 だが、理論上は相手が斬り込んでこない限り、その秘剣は機能しないのだ。受け身の攻撃。「自分からは仕掛けない必殺技」というパラドキシカルなありように、眠狂四郎のネジれたキャラクターがよく出ている。

 いわば、“不完全性の定理”。とかくこの世はままならぬ、ってやつである。

 全12本を数えるシリーズの中で、第8作「眠狂四郎 無頼剣」を選んだのはそんな世界観、“不完全性の定理”を顕著に示した作品だと思ったからだ(原作者の柴田錬三郎は“これは狂四郎ではない”と怒ったらしいが……)。監督は名コンビ、三隅研次。脚本は時代劇の巨匠・伊藤大輔。

 狂四郎の黒羽二重の着流し姿に対し、白装束に身を包んで登場するのが謎の浪人“愛染”。扮したのは天知茂。「座頭市物語」の平手造酒役と並ぶ名演である。

 義憤と私怨がない混ぜになり、愛染は老中・水野忠邦の命を狙い、かつ江戸を火の海にしようとする。クライマックス、炎のあがった町をバックに瓦屋根の上で雌雄を決するシーンが素晴らしい。愛染は狂四郎を真似、円月殺法vs円月殺法の闘いになる。どこか似た者同士があいまみえ、鏡像関係となり、無頼剣がクロスする。しかし愛染はテロリストで、狂四郎はニヒリストだ。これは驕れる者と、驕ることにさえ醒めている者との闘いでもある。

 狂四郎の深い虚無は、複雑な出自に関係する。すなわち大目付・松平主水正(もんどのしょう)に弾圧され改宗、“転び伴天連(ばてれん)”となったヘルナンドが復讐心から主水の娘を陵辱。そうして生を受けた狂四郎は、まさに不完全でネジれたこの世の証といえるのだ。

 狂四郎は劇中、悩めるヒロイン(藤村志保)にこんな印象的な台詞を吐く。

 「よほど思案にあまることなら、聞かぬでもない。ただし、断っておくが、わしはまともな人間ではない。当の本人がそう言うのだから、まず間違いはないものと承知の上でなら」

 この含羞を伴った、まどろっこしい表現。「まともな人間ではない」と、まともではない人間が述べる自己言及のパラドックス。己も含め、絶対的に正しい者などいないという相対主義が、眠狂四郎の立場だ。実際世の中には肯定も否定もできない事柄が確かに存在する。「眠狂四郎」シリーズで市川雷蔵は、(とりわけ)“不完全な世界”を見つめる哀しい目をしている。

[キネマ旬報掲載]
●監督:三隅研次●出演:市川雷蔵、天知茂、藤村志保、他●1966年●日本