読む映画リバイバル『コングレス未来学会議』

死ぬ前に観る映画

(2015年8月上旬号より)

 死ぬ前に、どの映画を観るか?

 何だかいきなり穏やかな話題ではないですが、一度は考えたことありません? かくいう筆者は、森﨑東監督の「喜劇 特出しヒモ天国」(75)を選ぼうかと思っている。殿山泰司扮する坊さんの、いかがしくもありがたい説教で始まる煩悩映画の極北、これを味わってジ・エンドとするのがいいかと。でもまあ、実際は映画など観るような余裕はなく、あの世に逝ってしまうんでしょうけれども。

 近未来を描いたアリ・フォルマン監督の「コングレス未来学会議」は、開発された“クスリ”を飲むと誰もが好きな人物やキャラクターになることができる、という設定だ。ただし「幻想の中で」だが。しかも容姿がアニメ化される。そうやって、もはやオリジナルの自分というものがなくなった世界で、デジタルデータの海を漂流し、完璧なCGキャラとして半永久的に遊泳するわけである。言ってみるならば、自分探しではなく“自分失くし”。人間には古来から視聴覚の拡張への欲望があり、その一端を映画が担ってきたが、「コングレス未来学会議」が提示する世界観では、映画はもう必要なくなっている。

 突き詰めていけば一切は電脳空間の幻影で、そこでは生も死は曖昧なものとなる。偏在する意識。あなたの生はわたしの生。そしてわたしの死はあなたの死。劇中、息子になって彼の人生をくぐり抜け、“再会の旅”を母親にして女優のロビン・ライトは果たす。そんなことができるなんて!

 入れ子構造の閉じた回路の中、際限のない堂々めぐりが展開するだけ、と突き放した見方も可能だが、めくるめくサイケデリックなトリップ感がすこぶる羨ましい。

 先に述べたように、これまで映画は人間の欲望に沿って視聴覚の拡張を体現してきた。本作で言及されてるキアヌ・リーブスの「マトリックス」シリーズ(99〜03)などは分かりやすい例だが、それに先駆けて主演した「JM」(95)も思い出したい(原作はウィリアム・ギブソン。嗚呼〜、サイバーパンク!)。

 製作と脚本がジェームズ・キャメロンで、キャスリン・ビグロー監督の「ストレンジ・デイズ/1999年12月31日」(95)なんてえのもあった。ヴァーチャル装置、他者の体験をそのまんま知覚できる五感レコーダー・プレイヤー“スクイッド”が登場。今となっては懐かしいなあ〜。

 もちろんこの映画自体も、視聴覚の拡張をまた一歩押し進めたものである。「映画なんてもう、必要ない」という世界を描きながら。現実であろうと電脳空間であろうとすべては所詮、人間の脳が生みだした幻影に過ぎない……のだけれども、死ぬまでは意識が興じる“ゲーム”を面白く転がそうとしているのだ。ボブ・ディランの名曲〈Forever Young〉を響かせて。

 改めて――死ぬ前に、どの映画を観るか? それを考えることもまた“ゲーム”の遊び方のひとつ。死も旅路、トリップであるのならば、旅のお供をしてくれる映像は何が最適か探したい。自分にとってぴったりなやつを。もしかしたら、その映画の思い出を通して、またどこかで逢えるかもしれないじゃないか!

 な〜んて、本作のせいですっかりバッドトリップしちまったようだ。

[キネマ旬報掲載]
●監督:アリ・フォルマン●出演:ロビン・ライト、ハーヴェイ・カイテル、他●2013年●ドイツ、フランス、英国、ポーランド、ベルギー、ルクセンブルグ、イスラエル(7カ国共同製作)