読む映画リバイバル『007 スカイフォール』

アイデンティティの喪失と回復

(2012年12月下旬号より)

 タイトルと同じ曲名を持つアデルの主題歌はいきなりこう呟く。「これで終わり」と。だが、その映画の構成自体がそうであるように、彼女の声は徐々に螺旋を描いて上昇していき、新たなる始まりを告げる。

 シリーズ生誕50周年の節目を飾った『007 スカイフォール』。今回のテーマは“復活”であり“再生”だ。6代目ジェームズ・ボンドにダニエル・クレイグが就いてからまだ3本目の作品ではあるが、一挙にリセットを果たすチャンスはこの50周年のタイミングがベスト。ボンドは冒頭、13分ものプレタイトル・アクションを経て、川底へと落ちていく。むろん、重症を負ってもボンドは死ぬことはない。が、このとき、意味的にはいったん葬られた、と考えるべきだろう。なぜならばボンドを動かし、M16(英国諜報部)を統括するM(ジュディ・デンチ)は一度は生存を諦め、追悼文を書く。手の込んだやり方だがそれは、007シリーズに関わる作者たちの気持ちをも代弁しているものなのだ。

 しかし、どうして“追悼”せねばならないのか。言わずもがな、シリーズの延命のためである。女王陛下の臣下、ジェームズ・ボンドというキャラクターと時代の齟齬は(今に始まったことではなく常に)重大な問題で、次の50年に向けて再構築しておく必要があった、のだった。

 結果、現場復帰のテストを通して“老い”を認め、だがMとの関係性を築き直し、ぐっと若返った秘密兵器担当Q(ベン・ウィショー)との世代差ギャップでウィットを取り戻して、強敵シルヴァ(ハビエル・バルデム)と対峙する。ボンドとローテクなシステムの象徴M16をあざ笑う此奴は、同時に「スパイは時代遅れなのか?」という命題、ひいては今日における「007映画の存在意義」をも問うてくるわけで、本作は相当なメタ構造で成立している。

 ユニークなのは、ボンド復活のために映画が「過去に遡行」していくことだ。冒頭の、エクストリームなアクションは、「実はウチらが元祖」というプライドの表れで、以後、蓄積された“自作の歴史との対話”に映画はハンドルを切ってゆく。そう、これこそが007映画にしかできない独自性。ロンドンの地下鉄内での追跡劇、ボンドとシルヴァの攻防は、古典的だが活劇の醍醐味に満ち、それは後半に進むにつれ、さらに色濃くなってゆく。後ろ向きのヤボさを感じないのは、アイデンティティの喪失と回復のための闘いという主題と合致しているから。あえてオープニング時には封印した、あの〈ジェームズ・ボンドのテーマ〉がついに流れる瞬間のドラマチックなこと!

 極めつけは終盤、ボンドが幼少期を過ごしたスコットランドでの荒野の決闘。次第に夕闇に染まっていく、時の推移が素晴らしい(撮影は名手ロジャー・ディーキンス)。さながら西部劇のような少人数での、しかし目いっぱい広大な空間(とセット)を存分に効果的に用いた、クラシカルだが骨のあるアクションの“復活”と“再生”が、とても感動的なのだ。

 それにしても、サム・メンデス監督による今回のメタ構造はかなりの劇薬であった……が、ともあれこれで、セットアップは万全と言えよう。

[キネマ旬報掲載]
●監督:サム・メンデス●出演:ダニエル・クレイグ、ハビエル・バルデム、ジュディ・デンチ、他●2012年●アメリカ、イギリス